1974
前作「皇大睾丸」が台風によって甚大な経済的被害を受けたのをモノとせず、予定通り打たれた秋公演。「皇大睾丸」上演中、流される電源車を必死で引っ張る駱駝の男衆を目の当たりにした土方巽が命名。
土方さんが『男肉物語』だな、とタイトル=題字を書いた。ショーが終わるや、女性団員を求めて天児牛大と連れ立ったディスコのトイレで出会ったのが国士舘大学空手部の学生。革ジャン丸坊主姿に興味を持ち、踊りをやっている旨を伝えたら興味深々で、お前ら一緒に遊びに来い、となって、大塚主将が空手部の連中を連れて来たんだよ。麿さんは、舞台に出そうと。皆の背中に富士山の絵を描いて、エキストラで出した。そしたら、国文学者の松田修先生が喜んじゃってさ。そうして楽しくやってくうちに、それぞれの個性が分派するようになって、最初はビショップ(山田)が東北の鶴岡に拠点を借りて、北方舞踏派を始めた。
室伏・談
「皇大睾丸」と本作によって、大駱駝艦に舞踊批評家協会賞がもたらされた。
(Y.O)