1976
自由な紐帯で結ばれていた大駱駝艦は、麿の希望もあって積極的に分派していくが、室伏もまた独立。舞踏派背火(ゾロアスター教〈拝火教〉=ツァラトゥストラに由来)の名のもと、福井県五太子の山中に位置する養蚕農家を借り上げて改装、「北龍峡」と命名し、活動を開始した。本作は記念すべきその旗上げ公演。
〈風土への問いかけ・問いなおし〉〈芸能の根源的在り様としての遊行=流浪〉〈祖型・再生の磁場としての棺桶・胎内〉をテーマに、福井県の山峡・五太子町に舞踏伽藍北龍峡をひらき、舞い降りた。
辺境を蹴り、山野を駆け、都市をめぐり、海峡を越えて〈舞踏〉は国と国の、夢と現実の、生と死の、天と地の、都と鄙の境界線上に立つ。国境は常に炎に包まれている、傾きそのものだ。越前の誇り高き山師の果てしなき行軍!!ともに室伏による挨拶文より
木乃伊は、卒業論文を即身成仏研究と定め、実際に木乃伊が安置される出羽三山で山伏の行も体験した室伏が見出した、大変重要なテーマであった。
木乃伊は、死んだわけではなくて、死というものに毅然として、死を体現しつつ生きているみたいに見えるわけです。土方さんに“命がけで突っ立った死体”という言い方があるけど、結局死体だって踊るじゃない?すべての生は崩壊の過程だし、崩壊そのものが踊りだと。木乃伊がそれに近いと思った。即身成仏。自分が在ることが木乃伊化していってる身体。木乃伊を最初にやったときは、福井での『虚無僧』という公演だったんだけど、ちゃんと棺桶に入って、中で火をグワァーと燃やしたりして(笑)。…(中略)…全国から1000人くらい来ちゃった。入りきれない村の人たちのために一日余分に公演した。面白い公演だったと思うよ。『アサヒグラフ』のトップ記事にもなって、2階のステージに、200人のところを300人くらい入れたから、終わって皆が立ち上がると建物がワーッと揺れるんだよ(笑)。土方さんも芦川さんや玉野さんと来たしね。越前海岸で、皆で泳いだ。私の木乃伊は迫力あったんだよ。泥に埋もれてね。動くことの不可能性が木乃伊の問題で、でもそこから動くにはどうしたらいいの?ということがテーマになっていたと思う。それをほぐしていくには、どうしたらその動作が発明できるか。電気風呂なんかで稽古していたな。
室伏・談
(Y.O)
室伏鴻が初めてミイラを踊った作品である。