1979
モダンダンサー竹屋啓子のパフォーマンスに客演。折口信夫はもちろん、台本の郡司正勝(註・歌舞伎研究で名高く、早稲田大学時代に室伏が教えを受けていた)、また松田修など、芸能の発生状態を掘り起こす作業に力を注ぎ、ときに学界からは異端視されていた日本文学者の仕事に、室伏は終始敬意を隠さなかった。
(Y.O)
テス ダンスシリーズ no.14 「竹屋啓子展『安達原』」。no.13の「グループCON舞唱展」が12日の金曜日で、「安達原」が15日の月曜日の公演でした。会場は草月ホールです。昭和54年度の文化庁主催芸術祭参加作品です。実は河野潤さん、竹屋啓子さんのスタジオは事務所の割合近くにありました。竹屋啓子さんがアメリカのマーサ・グラハム舞踊団に文化庁在外研修で行かれた時に、兄の飯島篤が丁度ニュヨークに森下洋子さんの取材で行っており、清水哲太郎さん森下洋子さんご夫妻と同道で竹屋啓子さんを訪ねたことがあったということは聞いていた。また河野潤さんの、種子島有希子さんの麻布のユニークバレエスタジオでの公演についての相談を飯島が受けていたのは覚えている。種子島さんの幼少のころからの写真をたくさん使った公演だった。この「安達原」公演の話がどのようなきっかけで始まったのかはよく覚えていないが、郡司正勝氏が書き下ろされた台本をもとに公演するにあたって、飯島に相談があったのだと思う。スタッフ・テス(株)発行の「ballet &dance The TES Graphic」誌上で同時に、年月は覚えていないが、ダンス分野ではない異色の演出家、台本家のもとで公演された舞台が二つあり、それぞれの演出家、台本作者、振付者にインタビューしたことがある。一つは柳下規夫さんが出演した、観世栄夫氏演出の作品、たしか「黒塚」を題材とした作品だと記憶している。会場は草月ホール。もう一つが郡司正勝氏が河野潤さん、竹屋啓子さんに書き下ろした台本「風餐」公演。会場は確か芝のabc会館ではなかったか。今回の「安達原」は竹屋啓子さんに書き下ろした作品だ。歌舞伎研究家である郡司正勝氏は土方巽とも交流を持っていた。室伏鴻さんの出演は多分郡司正勝氏より提案されたと思う。ご自宅に河野さんとご一緒にお邪魔した際に、キャストをどうするかという話になり、ダンサーではない身体性を持った者がいいということで、大駱駝艦の室伏鴻さんに決まったと思う。スタッフも全員男で行こうとも決まった。室伏さんは福井に本拠をお持ちで、舞踏派背火を結成されていた。頻繁には竹屋さんとは合せられない、その辺りはどのように進めたのか。1979年度の手帳には7月18日に「河野さん、郡司正勝氏、竹屋啓子さん、室伏鴻さんの顔写真」とある。また同月28日に「印刷入れ」とある。添付しているチラシのことだ。8月に入って6日(月)から10日にかけて「顔合わせ」とある。そこに小さな文字で「暗黒文化のシステムとオーバーチャ文化の合一」と書かれている。新聞、雑誌、情報誌へ送るキャッチコピーなのか。チラシは13日(月)に上がり、と記されている。しかし20日(月)から28日(火)にかけて「チラシ」「チケット」「ポスター」上がりともある。
室伏鴻さんの舞台を初めて見たのは1973年だったと思うが、大駱駝艦の天賦典式公演「陽物神譚」だった。
(中略)閑話休題。長野で芝居をしているすぐ上の兄、飯島岱が1973年にケニアから「インターアフリカンシアターグループ」を招聘し主に東京で公演をやっていた。「インターアフリカカンシアターグループ」が日本青年館で開催された大駱駝艦の天賦典式公演「陽物神譚」を見に行くということで僕も一緒に見た。途中轟音(と記憶しているが)がしていきなり舞台上部の畳一畳くらいのものが二つバーンと落下したのだ。落下とはいうものの、ぶら下がっている状態で、よく見るとそれぞれに男一人ずつ両手を縛られて身悶えているようだった。あるいは磔刑されたキリストを想起させるようなものもあった。鳥の羽が一面に敷かれていたのか落ちる反動で客席に舞った。その荒々しい中に、ふと気がつけば下手に男が佇んでいる。長い時間をかけて中央に行く。初めて目にする土方巽だった。天井から振り落としの二つに磔刑にされていたのは、山海塾の天児牛大さんと室伏鴻さんだった。それが室伏さんを見た最初だった。そのあと芦屋ルナホールが5週年だと思ったが開館記念の企画を募集しているとのことで、芦屋在の彼と大駱駝艦の招聘を二人で企画した。100万円の制作費という触れ込みで大森山王の大駱駝艦に電話を入れて会おうということになったが、なかなか待ち合わせの場所に現れなかった。フラれたのだ。トンデモないと思われたのかもしれない。その相手が室伏さんだった。その前に僕は大駱駝艦の事務所に行って、天児牛大さんと室伏鴻さんに会っている。天児牛大さんはマッチ棒でセットの模型を作っていた。のちに多摩川で流される公演のものか、あるいは京都円山公園でのものかは覚えていないけど、二人の役割が分かるようだった。室伏鴻さんは広報とかだったのか。のちに「激しい季節」を大駱駝艦より(アーカイブ注:海王企画より)発行している。(阿波根治氏facebook投稿より)