1986
《エロスの涙》は、ジョルジュ・バタイユ―Batailleとは普通名詞として戦闘をさす―の書名にちなむ。室伏を震撼せしめ、本質的な影響を与えたバタイユの著作は、『内的体験』『有罪者』『ニーチェについて―― 好運への意志』からなる『無神学大全』三部作に相違ないが、室伏が一番愛していたのは、たくさんの図像がひしめく小さな本『エロスの涙』だった。『無神学大全』を謳いながらも、そのじつ、綜合化に抗い、断片へと解体していく傾きの強いバタイユ。包括的であるとは、闘いの現場で掴みとった過剰な生々しさから眼を背けることではないか。そう苛立ち、安易な抽象化を断固拒絶する姿勢において、バタイユと室伏は同じ資質を共有していた。たとえば、室伏の次のような発言は、バタイユの言葉と響きあう。
室伏鴻が決められていくことが嫌なんじゃないかな。そういう安全なものとして失われてしまうことが嫌だから、いつも行方不明みたいな場所にいた方が、自分にとってはコンディションがいい。だから舞踏のジャンルにも、コンテのジャンルにも属さない、外れた場所で成立するような身体で、むしろアンチダンス的な要素を持ったものでいたい。…(中略)…私の中に、土方の初期へのロマンティシズムがある。『肉体の叛乱』を観る前の、伝説化した暗黒舞踏の10年かもしれませんが、『禁色』『バラ色ダンス』あたりの時間は、私からすると観ていないものだから、余計ロマンティックにあるのかもしれない。そこでは、ダンスも、舞踏も始まっていなかったかもしれない。ダンスがダンスとして成立する前に、すでにダンスだった。そういう方法論が、舞踏の初期にあったんじゃないか。それまでかろうじて、土方さんの写真を見たりすることはありましたが、それが、最初に土方さんの稽古場に行ったときに匂った、土方さんの佇まい、酒の飲み方からしてそうだし、要するに日常にそういうことがある人だった。そういう出会いだよね。振付家としての彼の鋭利なラディカルさは、そしてどんどんアーティスティックになっていく。
室伏・談
(Y.O)
We are hungry, / in the rich / Searching new vertigos / In the hungry body / We find without limitation
Between orient and occident / belonging to neiber / To become things between you and me / From the frontier, I will describe a new fromtier / The forces that produce this vision are Eros
Giving birth, every moment in pain and pleasure / With new meetings and separation / We dance this distance between ourswlves / In sacrifice and excess consumation of our forces.
Ko Murobushi (from program)
握手攻め、批評なし、夜の熱狂、成功、Bravoは闇に葬られた。(室伏鴻日記より)
新作としてのEN’87はフェスティバル・ベストの評価を得る。