1993
テアトル・ドゥ・ラ・バスティーユで初演したカルロッタ池田とのデュオ『AiAMOUR』は、池田が頭を彼の肩に軽くもたせて並んで立つ長いシーンで始まる。ゆっくり時間をかけて揺れながらもつれる。
《愛》と、病気にかかると《痛い》を意味する《ai》=《avoir》をひっかけたタイトルである。男女の微妙な関係を示唆する作品で、日本人の寛容と曖昧さと、それに接近するフランス人の感性を揺さぶるような大胆な身体を示し二人だけの空間を創る。フランス人に限らず欧州の高学歴の層は、おおむね、自分がそこまでに築き上げた知的特権を手放さない。それに揺さぶりをかけたのが室伏鴻の舞踏で、欧州人の知性に侵入した。カルロッタ池田に寄り添う室伏鴻は膝を緩め次第にだらしない身体を見せるかと思うと、祈念の対象にもなりうる素直な直立に入る。それは彼が常に抱く万物への疑義を漂わせ高貴なアウトローとしての自意識を吐き出す瞬間である。
長谷川六『室伏鴻 追悼文集』より