1994
1、10年前、パリで、巡演中のErwin Piplits氏を紹介された。こちらも巡演中で、私はミイラを踊っていた。私のミイラの踊りはちょうど日本からヨーロッパへ漂流―放浪の地を移した頃であった。それから彼によばれて、はじめて僕はウィーンで踊った。その頃は、塩を降らせた。塩を敷きつめてその上でも踊った。僕はmagicianではない。今回、塩が砂に変化するのは、きっとErwinのせいなのだ。
2、〈独身者は瞬間しか持たない〉とフランツ、カフカは書いた。瞬間には記憶がない。記憶のないものがどのようにして書いたのか、どのようにして生のかたちを継いでゆくのであろうか?これは僕たちの踊りのテーマでもある。
4、「私が・・・」と私が発語したとたん、その私は星になってしまった。置き去りにされた私は・・・?と探す必死の私も次から次 瞬間の餌食のように、流れ星のように去ってしまうではないか! As Time Goes By――。時の傍らに、無数の切り刻まれた私たちがあり、私たちの不在があり、もはや私は私たちの数え方を知らぬ・・・分裂し、刻まれ、粉々にされて流亡するものだ。
(中略)
7、水銀のような、ゆらゆら不気味に流動し、流れに形を与えようとして、また流れにとられる、形があって定まらないもの、〈私〉のように形のあるものではなく、ユーレイのようなものが真実らしい。いや、どっちも〈真実らしい〉というだけのニセものだ。
乗り移つり、放浪する形に成ればよかろう・・・。
室伏鴻 プログラムより
Ko Murobushi
ウィーン1994.Oct
「ERRANCE」のために―
ERRANCEワールドプレミエール。本公演ではステージに5トンの白砂を敷き、10本の塩の雨を降らせた。