Ko Murobushi Exhibition

ウィーン、東京│2024 » 2026
2025.11.9
シンポジウム

ダンス・マイナス・ダンス──室伏鴻作品における外部としての沈黙

ジュリ・ダン

マルタ・ビネッティと共同制作したダンス・オペラ『少年十字軍』の宣伝資料の一部として1992年に公開された手紙で、Koは追伸としてこう書いています。

すみません、わたしの英語は壊れています。でも、その「壊れ(breaks)」から何か違うものが生まれてくることを願っています。期待を込めてペンを走らせています。

きょうの発表では、「壊れ(breaks)」の中にとどまり、(わたし自身が)「翻訳の中で迷子になり」、「自分を失う」ことをあえて許可すると同時にその中で「別の何か」を見つけたいと思っています。言語が必ずしも完全に「意味をつくる(make meaning)」わけではないですが、それでもなお「意味をなす(make sense)」瞬間に身をおきたいです。さらに、言葉そのものが中心から外れ、「別の何かのための場所」や「空間」を生み出す瞬間にも自分を置いて考えたい。――あるいは、Koの言葉を借りれば(もっとも、言葉が誰か一人のものとして完全に属するとは考えていませんが)、「何か違うもの(something different)」を見つけたいと思っています。

言語の「壊れ(breaks)」について掘り下げる前に、いったん中断して、余談をしたいと思います。はじめてKoのパフォーマンスを「生で」、「目の前で」目にしたのは、2012年ウィーンでした。しかし本人――「人としての彼」あるいは「一個人としての彼」――に実際出会ったのは2014年です。そのときわたしは、インプルスタンツで彼のリサーチ・プロジェクト「無数のニジンスキー」に参加していました。その頃のわたしは、「片足を日本に、片足を別の場所(この場合はウィーン)に」置いている状態で、複数の場所と複数の言語のあいだ――その「はざま」に身を置きながら、むしろ「自分を見失っていた」と言ったほうが正確かもしれません。「いまどこに住んでいるの?」と聞かれても答えがわからない状態でした。そしてその曖昧なあり方は、後で知るように、Ko自身の状況とも決して無縁ではありませんでした。このときのリサーチは英語で行われました。より正確に言えば「国際英語(international English)」と呼ばれたり、あまり好意的でない意味で「ブロークン・イングリッシュ(壊れた英語)」と呼ばれるような英語で進められていました。わたしはその場に、日本語をある程度「理解できる」状態で参加していましたが、ほとんど話せませんでした(この点についてはこの10年間であまり変わっていません。だからこそ今回の発表も英語で行っています)。

「無数のニジンスキー」について語るべきことはたくさんありますが、とくに強調したいのは、わたしがKoと最初に出会ったのが「言語と言語のあいだ」だったということです。たしかに、プロジェクト自体は「英語で」行われていましたが、部分的とはいえ日本語を理解できたことで、Koのもう一つの側面に触れることができました。それは、Koと喜美子さんとのあいだで交わされる(私的な)会話にありました。そしてその内容は、多くの場合、意図的に翻訳されないままでした。ウィーンでKoに出会い、東京で再び出会い、そして――さらに重要なことですが――亡くなったあとも、彼のアパートで、そしてその後Shyで彼と「出会い続けている」ことは、ある意味ではKoがその著作で語っていたありかたと響き合っているのではないかと思います。つまり「旅人」として、「アウトサイダー」として、つねに「言語と言語のあいだ」「場所と場所のあいだ」に生きる存在としてのKo――その姿に重なるということです。

きょう最初に紹介した追伸の前に、手紙で、Koはこう書いています。

わたしはとても速く話す。
言葉よりも速く話すべきだ。
忘れるために――わたしの文化から消えるために。
思い出すために――わたしの文化の中に現れるために。
わたしは移動すべきだ、跳ねるべきだ……。

わたしが自分の母語の側、共同体の言葉にとどまっているのは愚かだ。
話すために、自分の文化的な身体を壊さなければならない。
さあ、もっとも美しい在り方は――二言語的であること、
連星のようであること――わたしたちのように!!
わたしたちはいつも両唇音で話し、
わたしたちはいつも両側性に動いている。
大事なのは、そこにある〈倫理〉(Ethic)だ。

KoはKoであり、彼はKoではない。
彼は舞踏ダンサーでありながらそれを忘れている。
彼が日本人でありながら、日本人にとっての異邦人でもあること同じように。

この引き裂かれは、単にわたしとあなたの「二つ」にわかれることではない!
感じること、複数で話すこと、数えきれない無数の方向。
野蛮で繊細な身体とともに。

Now, the most beautiful way is a  <bi> is a bilingual, is a binary stars, like us!!
We are always speaking in a bilabial, we are always moving in a bilateral.
Important thing, there is some Ethic!

Ko is Ko and he is not Ko.
He is a Butoh dancer and he forgets it in a same way he is Japanese and he is a foreigner for Japanese.

This split is not only in Two, in you & me!
To feel, to speak in plural, innumerable directions.
With sensitive and wild bodies. (Murobushi, “Texts for ‘Children’s Crusade’”)

発表を準備しながら、このテクストに引き寄せられていく自分に気づきました。たんに、わたしにとっては日本語よりも親しみやすい英語で書かれているからではありません。むしろ、Koの作品において「言語」と「翻訳」という問いがどれほど重要であるかが如実に語られているからです。言語――この場合は英語――は、Koを「(Ko)」として、「日本人」として、「舞踏家」として位置づけるものでもありますが、そうした言葉が作り出す「檻」を打ち破ろうとする、必死の試みとして映ります。つまり「自らの」文化の外へ、「自らの」自己の外へ、さらには「舞踏」という枠組みの外へと書き出そうとする切実な行為として感じられるのです。自身の著作やダンスの中で彼が求めていたのは「複数の、無数の方向に向かって話し、感じようとすること。/野蛮で繊細な身体とともに」でした。つまり、「話す」「感じる」「踊る」を――単数の身体としてだけでなく、複数の身体として――野蛮で繊細な存在として行うことです。そのためにKoは、「自分の文化的身体を壊す」、言語を壊す、ダンスを壊す必要性を感じていたのだと思います。その「壊れ」からこそ、「何か違うもの(something different)」、「まだ知られていないもの」が立ち現れてくると信じていた。
 興味深いことに、このテクストの中では「倫理(Ethic)」という言葉が持ち出されています。ここで「倫理」への言及と、哲学者ヴィトゲンシュタインが『倫理についての講演』で語った「倫理とは、言語の限界にぶつかること」「言えないことを言おうとする試み」であるという定義を結びつけて考えたいと思います。Koは、ダンスと言葉の両方を通して、まさにその「言語の限界」や「ダンスの限界」に全力でぶつかっていこうとしたのではないでしょうか。そして、その「壊れ(breaks)」の中から、既存の定義や合意を超えて、言葉とダンスを新たに生み直し――同時に、「自己」の枠組みそのものを超えた「何か違うもの」として、みずからを再創造しようとしていたのだと思います。
 自閉症スペクトラムの当事者である研究者として、わたしは舞踏を通して〈障害〉や〈神経多様性〉の問いを探り、同時に〈神経多様性〉や〈障害〉という観点から舞踏そのものを考察しようとしています。そうしたわたしの立場から見ると、Koは一見すると「周縁的」にみえます。ある種の「逸脱者」あるいは「アウトサイダー」。彼の作品は、土方巽や石井満隆に比べると、「障害」や「神経多様性」をより「直接的」に扱っているわけではないからです。
 しかしわたしは、「沈黙」や「無能力」という主題がKoの作品の中心にあると考えます。そのことは、彼の作品を必ずしも「障害」や「神経多様性」についてのものとするわけではありませんが、むしろそうした観点から彼の作品を読み解く可能性を開いてくれるのです。つまり、彼自身は自作を「障害」や「神経多様性」と結びつけて考えてはいなかったかもしれませんが、それでも、彼が「沈黙」や「無能力」へと向かい、そして――このシンポジウムのテーマに結びつけて言えば――「踏み外すこと(mis/stepping)」「過ち/踏み外し(faux pas)」「倒れること(falling)」として、言語の「壊れ/裂け目」や「ひび割れ」の中に身を投げていったことは、「障害/神経多様性」とダンスとの関係を考える上で、きわめて示唆的であると思います。
 彼の作品と「障害/神経多様性」との関係を結びつけて考えるために、ここで少しだけ、自閉スペクトラムの作家であり研究者でもあるスティーシー・イーストンの言葉を引用したいと思います。イーストンは、自身の経験をもとにした『自閉症についての逸話的ABC事典』で、自閉症とは「翻訳の問題(a problem in translation)」であると書いています。イーストンのこの『ABC事典』では、「A」は「疎外(alienation)」を意味します。こう述べられています。「スペクトラム上にいる人びとの疎外は、翻訳の疎外であり、翻訳の失敗である。言葉を知らず、言葉でないものを知らず、身体性や社会性を知らない――このことが、スペクトラム上にいる人びとを、そうでない人びとから遠ざけてしまう」(Easton, 99)。これによれば(そしてこれはわたし自身の経験にも響きますが)、自閉症スペクトラムであるということは、「言葉」も「言葉でないもの」も、「身体性」も「社会性」も、いわゆる「神経定型(neurotypical)」が当然と前提する形では「知らない」状態にあるということなのです。ここで簡単に説明しますと、「神経定型性(neurotypicality)」とはもともと自閉スペクトラムの当事者コミュニティで生まれた用語で、「正常な」脳や心という観念――すなわち、自閉症などの神経学的差異を相対化するために設けられた基準――を指します。しかし近年では、哲学者エリン・マニング(Erin Manning)らの研究者によって、より広い意味で、「人間とは何か」を規定する目には見えづらいアイデンティティ・ポリティクスの一形態として、批判的に論じられています。彼女の言葉を借りれば、それは「人間という枠組みを設定する際に、そのパラメータにうまく当てはまらない者すべてに壊滅的な影響を及ぼす」体系です。つまり、「神経定型」とは、ある特定の「世界のあり方」を優位に置き、それ以外のあり方を排除してしまうシステムです。そして「人間」というものがこのように狭く、神経定型的な基準によって定義されるとき――「踏み外すこと(to misstep)」、「踏み外しを犯すこと(to faux pas)」、「外部にとどまること(to remain on the outside)」こそが唯一の選択肢になってしまう者が出てきます。

母語という安全な側にとどまることを拒み、「話すために自らの文化的身体を壊す(to break [his] cultural body to talk)」ことを試み、言語とダンスそのものを壊すことで、無名のダンス、無名の身体へと向かおうとしたとき――Koは「外部の側」を選び取ったのだと思います。そして、その選択によって彼は、意図的であったかどうかにかかわらず、「アウトサイダーたちの側」に(踏み外すように)一歩を踏み出したのです。この行為は、倫理的な身振りであると同時に、連帯の身振りとしても捉えることができるでしょう。
 1990年のあるテキストで、Koはパリのメトロで、日本語で、走り書きするようにこう記しています(なお、以下はわたしによる彼の言葉の(誤)理解に基づく(誤)翻訳です)。Koによれば、連帯(solidarity)は既存のいかなる伝統の側にも見出されるものではなく、存在するかもしれないし存在しないかもしれない、ある(非)場所において達成されるものだと書かれています。続く文では、彼はそれを肉体(nikutai)の潜在的な力を、その原初の流れの中で捉える――野生的で、無垢で、なおかつ教育を覆すことのできる力として、という考えと結びつけています(122頁)。というのも、後に彼自身が述べるように、教育や文化によって奪われることのないものが存在するからです(122頁)。この一節からすると、Koにとって、連帯とは、神経定型が強制する規範やルールの外で、互いが「他者」として出会うときに達成されうるものに思われます。つまり、社会的身体としてではなく、教育や文化に焼かれていない、社会的・文化的規範に束縛されない肉体(nikutai)として互いに出会うときにこそ、連帯は成立するのです。

彼の作品についてより詳しく論じることは、きょうの発表の範囲を超えるのですが――スティーシー・イーストンはABC事典の中で、自閉症スペクトラムの人びとの問題として「いつもすべてを伝えたがる」と述べています。それは決して間違いではないと思います――わたしが自閉症と身体について考える際に中心的な影響を受けた人物の一人が、フランスの教育者・作家であるフェルナン・ドゥリニィです。ドゥリニィは、フランスのセヴェンヌ地方で、主に言葉を話さない自閉スペクトラムの人びとのごく近くで生活することに人生の一部を捧げました。精神分析が「人間」を言語能力に基づいて定義していた時代において、ドゥリニィは、言葉を話さない自閉スペクトラムの人びとのために「人間」の中に居場所を作る必要性を感じ、言語を壊すことさえ試みました。ここでドゥリニィのことに触れるのは、その思想において、彼が「二つの『人間』のビジョン」を区別していたからです。ひとつは彼が「わたしたちがそうであるところの人間(l’homme que nous sommes)」と呼んだもので、これは(神経定型の)社会が最も一般的に定義する人間に対応します。つまり、話す存在としての人間、みずからのプロジェクトとしての人間です。もうひとつは「種としての人間(l’humain d’espèce)」であり、教育の記憶に先立って存在する「人間」、教育の記憶によっても完全には覆され得ない人間を指します(49頁、54-57頁)。

わたしにとって、これはKoが語る「連帯」の議論と深く関わっています。Koの作品における連帯とは、「わたしたちがそうであるところの人間(the-human-that-we-are)」の枠を超えて「種としての人間(the human of the species)」にまで及ぶ連帯であり、さらに言えば人間という種を超えて拡張される連帯であると考えています。それは、単に「社会的な存在」として存在する者同士の連帯にとどまらず、限定的な定義による「人間」を超えて、わたしたちの一部をつねに外側に置き去りにしてしまう亀裂の隙間をとおして染み渡る連帯です。Koが言う「言語の壊れ(breaks)から何か違うものを見つける(find something different, coming out from the breaks)」という試みにおいて、わたしは、Koが他者――障害のある他者や神経多様な他者も含め――が舞踏の中で存在できる、沈黙の空間、あるいは沈黙の場を開いたのだと考えています。そしておそらく、完全に意図したわけではないにせよ、結果として実現したものだったのだと思います。

作品の中で、言葉の中で、ダンス・スタジオにおいて――さらにその外側や両者のあいだにおいても――わたしは、彼がわたしたち全員に、引き算の実験をするよういざなっていたと考えます。つまり、言語や身体、あるいはダンスが、既存の定義に従う必要がないとき、どのような可能性をもつかを考える実験です。これは、すでに触れた「少年十字軍」のテクストでも行われており、「Koであり、Koでない」存在を同時に想像すること、名前もアイデンティティも、文化も職業も剥ぎ取られたKoを想像することが促されていました。またこれは1990年に日本語で書かれ、2018年の『室伏鴻集成』に収録された別のテクストでも行われています。舞踏の起源について書きつつ、Koは引き算の実験を続け、舞踏は「ダンス・マイナス・ダンス(dance minus dance)」を表すかもしれないのだと提案しています。これはジョン・ケージの『4分33秒』が「音楽・マイナス・音楽(music minus music)」を表すのと同じような試みです(178頁)。もし音楽・マイナス・音楽が沈黙に等しいとすれば、ダンス・マイナス・ダンスは静止に等しいと考えるのは早計かもしれません。興味を引かれるのは、Koにとって「ダンス・マイナス・ダンス」としての舞踏は、静止ではなく「沈黙する身体」――あるいはより正確には「身体が沈黙すること」――を意味している点です(178頁)。英語では「to silence(沈黙させる)」は他動詞としてしか存在せず、誰かが誰か(他者)に沈黙を強いる動作としてしか使われません。しかし、koの書いたテクストでは、沈黙は自動詞として展開しているように私には思えます。これは、ヴィトゲンシュタインが『論理哲学論考』の最後で使った動詞と同じ用法かもしれません(ドイツ語の原文はWovon man nicht sprechen kann, darüber muss man schweigen)。英訳では「Whereof one cannot speak, thereof one must be silent(語りえないことについては沈黙しなければならない)」となりますが、原文のドイツ語では沈黙は自動詞です。Koのテクストを読むと、舞踏は身体の領域における自動詞として展開する沈黙――あるいは、ジョン・ケージ作品における音楽と同様に、ダンスを解消する自動詞としての沈黙――であると考えられる、あるいは少なくとも想像できると思います。Koにとって、この「沈黙する身体」または「身体が沈黙すること」は、舞踏の起源であり、土方巽の命がけで突っ立った死体(desperately standing corpse)そのものでもあるのです。

終わりに近づいてきました。まだ表面的にしか触れられておらず、語るべきことは山ほどあり、わたし自身もっと多くを語りたかったのですが、沈黙を中心に据えたテーマで締めくくりたいと思います。舞踏研究者ソンドラ・フレーリーが、土方巽について「社会の周縁にいる人びとに声を与え、声を持たない人びとに歌を与えようとした」と提案したとすると(22頁)、Koの作品――彼の舞踏も著作も――はそれとは異なる「何か違うもの(something different)」を提示していたと考えたいと思います。つまり、沈黙を自動詞として、そして倫理的な空間として提示する試みを提示していたのではないでしょうか。
 マイノリティー――とりわけ障害や神経発達の差異がある者たち――にとって、沈黙は最も必要ないもの、あるいは望ましくないものと考えられるかもしれません。しかし、それは沈黙の本質や可能性の根本的な誤解によると思います。たしかに、沈黙を他動詞として捉え、マイノリティーに常に押し付けられるものとして考えた場合、そこに救いがあるとは言い難いかもしれません。しかし近年、自閉症やその他の神経発達の差異をもつ研究者や表現者による研究、そして実践は、沈黙が必ずしも神経発達的な定義に限定されたり、あるいはそれによって限定されるのではない場合に生まれる可能性を示しています。

自閉症研究者J. ローガン・スミルゲスは『クィア・サイレンス——障害と修辞学的な不在について』において、沈黙の生産的な可能性に注目しています。スミルゲスは、ジャック・デリダの「沈黙は言語の不在や反対を意味するものではなく、言語を支え、言語が現れるために不可欠な外部であり、内と外の区別を曖昧にするものである」という主張や、ミシェル・フーコーの「沈黙は単一ではなく、複数的・多元的である」という主張を踏まえ、沈黙の修辞学的な可能性に注目しています。すなわち、クィアやクリップなどの人びとの沈黙は、言葉の可読性に従わず、言葉以上に多くを物語りうるのです。スミルゲスによれば、クィアの沈黙(それは常にクリップやニューロクィアの沈黙でもあります)は、そうなることもあるとはいえ、必ずしもいつも過激で抵抗的であるのではなく、同時に休息の場ともなりえます。わたしは、Koの作品は、意味や音の不在としてではなく、暗闇の空間としての沈黙への扉を開いてくれたのではないかと考えています。その空間で、わたしたちは、ほんのつかのまでも、野蛮で繊細な身体として存在できる。スミルゲスは「沈黙の開かれた可能性、その意味する可能性は、しばしば無声であること、限定された表象、目に見えなさとの関係に関する先入観によって早々に閉ざされてしまう」と指摘しています(35頁)。わたしにとって、Koの舞踏は、その開かれた沈黙への扉を開き、沈黙という空間を、それを切実に必要としているわたしたちにアクセスできるものとして示してくれるものです。
 Koの作品で、舞踏は既存の形式としてではなく、倫理的空間としてあらわれます。その空間では、舞踏だけでなく、存在そのものもまたつねに「違うもの」として途切れや崩れから生まれる形で再構想されることができるのです。


Works Cited:

Deligny, Fernand. A comme asile; suivi de, Nous et l’innocent. Dunod, 1999.
Easton, Steacy. “Autism: An Anecdotal Abecedarium.” kadar koli, vol. 8, 2013, pp. 99-108.
Ferrari, Massimo. “After the Tractatus: Schlick and Wittgenstein on Ethics.” Wittgenstein and the Vienna Circle: 100 Years after the Tractatus, edited by Friedrich Stadler, Springer, 2023, pp. 127-160.
Fraleigh, Sondra H.. Butoh: metamorphic dance and global alchemy. Illinois University Press, 2010.
Manning, Erin. For a pragmatics of the useless. Duke University Press, 2020.
Murobushi, Ko. Texts for ‘Children’s Crusade. Text written in 1992. https://ko-murobushi.com/biblio_selves/p6860/.
Murobushi, Ko. 室伏鴻集成 [Murobushi Ko Shusei]. Kawade Shobo Shinsha, 2018.
Smilges, J. Logan. Queer silence: On disability and rhetorical absence. U of Minnesota Press, 2022.
Wittgenstein, Ludwig. Tractatus Logico-Philosophicus. Translated by C. K. Ogden, Chiron Academic Press, 2016.

本研究はJSPS科研費 JP25K22950の助成を受けたものです。

Profile

ジュリ・ダンJulie Dind

ジュリ・ダン(Julie Dind)は、自閉スペクトラム症の研究者であり、学際的なアーティストです。彼女の作品は、自閉的なパフォーマンスのあり方を自閉的な観点から探求しています。彼女はブラウン大学で演劇芸術・パフォーマンス研究の博士号を取得し、早稲田大学で国際文化コミュニケーション研究の修士号を取得、さらにニューヨーク市立大学で障害学の上級資格を取得しています。現在は東京大学の東京カレッジにポスドク研究員として在籍し、舞踏と障害に関する科研費(KAKENHI)助成研究プロジェクトに取り組んでいます。