「陽物神譚」に見る現代文明への痛罵

市川雅

はげ頭で、からだを青い塗料でぬりたくった青色のサタン・麿赤兒が舞台に現れ出て、「雨の中を緑深きこの神宮の森に、よくぞいらっしゃいました……ではいきましょう」などと『陽物神譚』の開演を告げる。ファウストの『魔女の安息日』を想起させる数々の淫蕩と荒唐無稽の開始にふさわしく、いかがわしい声と物腰である。
この舞台には花道つけてあって、ヤギが遊んでいる。まさに花咲く道にヤギがメーと鳴く。やがて、岩手の鹿踊みたいな角が出たかぶり物をつけて、そろりそろりと男たちは舞台に向かって行く。
岩手の江刺の旅館の二階で、数年前、あたりの景色をながめていたら、田んぼの道の向こうから太鼓をかきならしながら鹿踊の一隊が現れ、こちらに向かって来た。その一体はだんだん町にはいって来たが、軒より高く鹿の角が突き出し、人間は見えないが、角だけが移動してくるのは異様であった。
『陽物神譚』の導入部は、この情景を想起させたのである。

かぶり物の男たちは、舞台で示威的に足を踏みならす。彼らは舞台の奥でかぶり物をかなぐり捨て、自らの裸体を観客の前に示しはじめる。そのからだは奇態に白塗りされ、麿の青色サタンと好対照を示し、善の子どもたち、けがれなき者たちを象徴しているかのようである。

ニューギニアの原人は、やはり白色に塗っていたが、わが日本にも、金粉、銀粉、白粉のショーが室町時代からほそぼそと生き続け、ここにいたって大乱舞の態で現れて来たのだ。白塗りは、みたところ奇怪に見えるが、ニューギニア原人にしてみれば、仮面をつけないかわりにからだ自体を仮面にして、神になり変わったり、自身を変身させたり、白塗りのなかに自分を隠したりするシリアスな行為なのである。

大駱駝艦の役者群もまた、演技の変身術として白塗りをするのであろうから、ニューギニア土人の変身術と基本的に同じであろう。
彼らは、裸身に金色の陽根をつけていた。観客は、そのあまりのでかさと意志と関係なく動くさまを見て、哄笑した。
ローマに攻め入ったナポレオン軍隊が、コウガン炎を患い、道を腰をこごめて歩いた態を見たローマ市民もまた、笑いころげたであろう。陽根が巨大なことはまずおかしいのである。釣り合いがとれないこと、不均衡なことは、笑いを誘発する。笑いはエネルギーの過剰を表し、生産力の豊かさへとつながっていく。

巨大な陽根を伴った芸能はいくつかあるが、たとえば板橋の徳丸本町の田楽などは、陽根をぶらさげて、モチつきをする。農業生産力にたいする祈念と生殖とが、アナロジーの関係になっていて、農業国芸能の特異な型式を示している。この露出された陽根について、昔は誰も文句をいわなかった。なんとなれば、無意識のうちに農業と生殖の関係をみな知っていたし、陽根がシンボルであることを知っていたからであろう。巨大化した陽根を笑いこそすれ、ワイセツなどという人はまずいないだろう。

大駱駝艦の舞踊の題が『陽物神譚』なので、さらに陽物譚を続けてもかまわないだろう。古能のなかにも、でかい賜物をつけたサルたちがぞろぞろ歩く狂言がある。大駱駝艦もこの狂言も、NHKテレビの芸能には絶対に登場することはないだろうが、人畜無害な芸能はないことを知ってほしい。もどく芸能である狂言に陽根が出てくるのは当然で、神の聖性に対して俗性が強調されれば、俗界の卑猥な部分を狂言が引き受けるのは、納得がいくことである。

おしら様や石造の陽根にしても、信仰の対象となっており、民衆宗教は俗悪な世界をにない、生産や子どもを授けることへの祈りを、シンボル化された陽根に求めるのである。大駱駝艦がこれほどまでに陽根に執着するのも陽根に関するシンボリズムの長い系譜に裏打ちされているからこそであり、なにも以上なできごとを捏造しているわけではないのである。

陽根ダンスの次のシーンは、地球儀を被った男たちが現れる。地球を頭にすれば化成は足だというわけか。地球儀を被っているところを見ると、地球人を表しているのかも知れない。この地球人は、なにやらウォーッと叫び声をあげ、女たちが切迫しているような身振りをしながら地球人たちの間を右往左往する。ウォーッというのは、きっと地球が爆発し終末がきたのかも知れないし、女たちがうろうろするのは、女の習性でまだ地球に色気があることをいっているのだろう。あるいは、男たちが地球人の仮面をムリヤリにつけられたのを、他の惑星から女たちが救い出しに来たのかも知れない。

こうした想像は自由に許されるだろう。だいたい、やっていることがなんだかわかってしまうのは、おもしろいことではない、荒唐無稽とナンセンスは解釈を超えており、観客は自由に自分の想像力を飛躍させるべきなのである。とくに、大駱駝艦のグロテスク・ナンセンス舞踊においては、その自由が許され内容を閉じてはならないのである。

このグロテスク・ナンセンス舞踊は陽根から糞便嗜好へと移っていく。
舞台の前面につくられた穴ぼこは、便所だそうである。その穴ぼこの周辺で、はげ頭の男どもたちがのたうちまわり、組んだり、ほぐれたりしている。これは糞便を愛好していることの証拠であり、誰が先に糞便に行きつくかを相競っている情景と見てよい。糞便嗜好は幼児特有のものであって、深層心理学によれば、成人の私たちももっており、たとえば金銭などの蓄積は、糞便を自分のところへ集めておきたい欲求の昇華された型態であるそうである。実は私たちは、糞便をこの社会でやったり、とったりしているのだ。タヌキが化して私たちにこんなことをやらせているのではなく、私たちの幼児退行的心理が一生懸命に金銭を糞便の代わりに、貸付信託やその他の方法で蓄積しているのである。

便所の穴に、ウジ虫のように集まって格闘する図は汚い限りであるが、プロテスタンティズムの祖・マルティン・ルターは便所のなかで悪魔がしのびよるのを感じ、宗教改革の大計画を考えたといわれ、『ガリバー旅行記』で有名なスウィフトの著作は、糞便嗜好で充満している。現在、ゴミ処理場や汚水処理場の問題で反対している人に、もっと糞便を愛好しなさいといいたい。大駱駝艦の公演などは、公害に悩む東京都民に見せたら、みな糞便にたいして認識を新たにするにちがいない。こういう現実的効果をもった作品であると私は信じている。

便所の穴から青色サタンが顔を出し、便所の穴に群がるウジ虫どもを追い立て、カミソリさえ出して切りつけたりする。こわいではないか。
これこそ、あのマルティン・ルターさえおびやかした悪魔であり、しかもカミソリさえ持参しているとなれば、ウジ虫のような糞便愛好者は逃げなくてはならない。残念ながら逃げ損じて、切りつけられて、血だらけになったものもいた。
まったく、泥まみれ糞まみれの連続であるが、次の男の子が五人ほどなにごとかわめくシーンもまた幼児退行的であり、聞き方によっては、欲しい物を買ってもらえないでダダをこねている子どもや、寝小便をして怒られている子どもを思い起こさせるものであった。大人が、子どものように泣きわめくのを見て、観客は哄笑した。人の不幸はとかくうれしいものだが、これが舞台の上の虚構となれば見る人は安心して笑うのである。

こうしたグロテスク・ナンセンスがかなり続いた後、突発的に劇場の天蓋につるされたテントが落ちて来て、一陣の疾風と白いちりとともに、舞台の両側に男が磔刑にあっているかのようにつり降ろされた。俗悪とも思えるイメージの連続の後のいきなり訪れた聖性というふんいきであった。
宙づりにされた男たちは手足をのばして、あたかも肉体が奪われつつあるのではないかと思われる仕草をしていた。いきなり天井から降ってわいたこの磔刑の男たちは、ちりの中でもだえていた。古典的絵画を別とすれば、これほどに俗塵の廃墟から現れ出たようなキリスト像を、いままで見たことがない。むさくるしさとナンセンスの中から現れたキリストなのであり、見事な肢体に苦悩をにじませていた。この瞬間まで進行してきたドラマは、このときのために用意された俗悪さといえるほどであった。

最後は、なにか陰謀をたくらんでいるかのような異様な女装の者と、軍服を着た若者の緩慢に進行するあい引きがあり、またもや青色サタンがその場に出現して終わった。

この作品は、醜悪な者たちが、犠牲行為を通じて、ナンセンスから聖性へといかに飛躍できるかを、肉体そのもののかたちで示してくれた。ひどくまじめであり、ほとんど類を見ないやり方で、私たちに見せてくれたのである。

December 1973
『アサヒグラフ』

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1973