日記

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年度

1977

内容

ミシュレ「あるいは歴史の宴」「山」「魔女エピローグ」「フランス史」「魔女」(篠田訳)、粟津則雄「言葉と言葉を超えるもの」などからノート9ページ分抜粋。「牝火山」「刺青」の仕込みについて(10月17日)。「地面を歩いている。明らかにここは東京の大森の山王であり、ぼくの ぼくらの 天賦典式やら 舞踏やらの稽古場がありつづけている場所だから ぼくに ぼくらに 接近したいものはむこう側から自然に接近する作業をするはずだ。なぜなら 誰れでもが嗅ぎ分けようとするほどの汚臭を ぼく・ぼくらは混沌のなかに呼び醒ましの鈴のように放りこんでおいたのだから。でも ぼくの放りこんだ鈴も その鈴の音も どんな空模様にも 一定の音色で鳴ったりはしない。ぼく自身が その投擲の仕方を変様させてしまった。ぼくは けれど 今でも一つの橋だ。危険な橋だ。片翼の飛行だ。霊魂は・・・ぼくは地面を歩いている」(10月27日より抜粋)。大野一雄舞踏公演「ラ・アルへんチーナ頌」を見ての感想(11月1日2日)。「飯吉光夫の『パウルツェラン』を読む。一緒に酒をのんだ飯吉さんについて想うことがらが大きい。なにかしら不思議な出遭いを僕に残している人なのだ。人に遇うこと。様々な人たちとの「社交」のなかにあって 何らかの(湿潤な)サークルといったものが 即ち 感情の共和といったものが直覚され そのことによって もう何度もその人に会ったことがあると錯覚してしまう。数回、ほんの数度、道端で偶然出会うけれど それは何度でも新鮮で 懐かしいものなのだ。本質的に人を癒やすような優しさ を感じる。何だろうか、恋情に及ぶ、友情に及ぶ、非常に原初的な感情点で僕は飯吉さんを見ている。中西さんの場合とは全然ちがう。土方巽に対するもののなかに在るものと共通する。僕は自分もそういう情動を通わせる ひとりの淋しく優しく懐しい 孤独な男の姿で居ることを最低の礼節のように思うのだ。しかし、そうした情交というものは ほんとうに稀少なもので 慎みに蔽われているといった風のところでとどまってしまうのなら やめた方がよい。」