1980
初演からの大きな変更はないが、大田区・山王にあった稽古場(日本オペラ界のパイオニアの一人、ソプラノ歌手・古沢淑子の邸宅を借り受けていた)が初演の道具で溢れ返り、納まりきれなくなったため──大駱駝艦が豊玉に移ってからは、山王の稽古場は背火・アリアドーネと山海塾が維持。背火・アリアドーネだけが勝手をするわけにはいかないので──さらに劇場への搬入、仕込みの合理化をめざし、道具面に工夫と調整が加えられた。音楽も一部変更。道具類のための材料調達、作成、当日の搬入、公演、搬出、速やかに行なわなければならなかった後片づけ等々、時間と労力を費やせるだけ費やした大作だった。けっして大劇場とはいえない規模の草月ホールで、よくもあれほどのスペクタクルをやったものだ、と振り返れば振り返るほどに感慨深い。
(Y.O)