第一部

風船を割るまで

髙山花子



3月の終わりに、なりゆきで、一連のベケットパーティーのドキュメンタリー映像を監督することになりました。ふつうに1人でiPhoneで撮影し、Adobe Premier Proで編集しようと思っていましたが、iPhoneだけで足りるだろうか、と考えていた4月2日、たまたま、まったく別件で齊藤さんとやりとりをする機会があり、撮影の相談をしたところ、一瞬でカメラマンが決まりました。彼には編集もお願いすることになります。結果的に、わたしたち2人は、4月の企画会議から、5月のキックオフシンポジウムを経て、7月、8月のシンポジウム、そして10月10日のQUAD上演までの、ベケットパーティーの全日程に参加しました。離合集散するひとびとの蠢きに間近で触れながら、齊藤さんは完全な記録として、わたしはときおり別役で参加するかたちで、しかしまちがいなく他の人たちとは異なるかたちで、距離を置いて、カメラを回し続けました。

もともと、すべてアーカイブの記録映像として別カメラで固定撮影がされること、とりわけシンポジウムにかんしては1回あたり2-3時間の日程が合計6回は組まれるということで、全体を振り返るのにちょうどよい、そこまで長くはない映像を……と構想していました。かろうじて自分がよく見ていると言える映画監督クリス・マルケルのドキュメンタリーに、削ぎ落とされた短い作品が多いことが影を落としていたと思います。そのため、撮影担当の齊藤さんに伝えていたのは、記録用の引きの映像以外のクロースアップカットがあるとよいだろうということと、鴻先生と宇野先生がなぜいまベケットなのかについて趣旨説明をされているところは大切になるだろう、というくらいで、ドアのガラスの向こうの青色がきれい、といったファインダー越しの映像への感想をいう以外、とくに指示はしていませんでした。

そうして、当初は、クロージングシンポジウムの議論のきっかけになるような、長くても20分、およそ10分から15分程度の長さにコンパクトにまとまる見通しを持っていたのですが、大幅な変更が加えられることになります。

大きな転機は、上演延期です。当初、8月13日に予定されていた上演は、関係者に新型コロナウイルス感染者が出たため、やむをえず10月10日に延期されました。そのため、9月か10月上旬に予定されていたドキュメンタリーの上映も先延ばしになりました。関連して、舞台当日の異様なまでの熱気がいったん落ち着いてから、なるべく冷静に振り返って議論ができるよう、あいだを空けた11月に日程調整をするのがよいとなり、すると記憶の抜け落ちもあるだろうから、ある程度の長さがあったほうがよい、ということになりました。上演を見られなかった人もいるので、上演の映像も入れて、長さは30-40分あったほうがよいだろうと尺が伸びる方向になりました。しかしQUADは抜粋をしてどうにかなるような上演ではありません。記録の意味もあり、すべてを入れることにしました。

そうして一挙に、映像の尺は20分どころか30分も大きく超えて、前半のシンポジウム&準備部分と、上演そのもののパーツを合わせて、合計50分近くになります。その結果生じたのは、クリエイション部分とシンポジウム部分のバランスの問題でした。はじめ、一連のシンポジウム部分については、要約しようがない上に、研究者である自分の立場からしても、一部の議論は相当程度に高度であったため、全体を俯瞰するナレーションを入れる予定でいました。実際、仮のものではありますが、それなりに早い段階でナレーションのスクリプトと音声を齊藤さんに送り、それにもとづいて編集をしてもらっていました。ただ、それでは、どうにも足りない感覚が出てきた。それで、ほぼ独断で、前半部分の構成をほとんどゼロからつくりなおしました。それは、ナレーションを抜く、ということでもありました。決めたのは、11月6日のことです。そのときの感覚は、風船を割る感覚でした。なにを言っているのかと思われるかもしれませんが、自分はナレーションを吹き込みながら、風船を膨らませていたのだと回想しています。膨らませた風船に、透明に固まる糊で新聞紙を貼り、乾いた頃に針で風船を割ると、中身が空洞のかたちができあがる。それを半分に切断し、半球になったかたちを頭にかぶって、ちょうどよく調整したあと、好きな色のリボンを好きなだけ糊でつけて、幼稚園のみんなでそれぞれのウィッグをかぶって遊んだのは、もう30年近く前の、忘れられない工作の時間の思い出です。しかし大人のメルヘンチックな遊びは子どものころとはまた性格の異なる現実の残酷さと隣り合わせで、この短期間に、齊藤さんがどれほど怒涛の修正を試みてくれたのか、相当な負荷をおかけしました。最後まで無茶に応えてくれて、感謝しています。いつもあたたかく見守ってくれた制作の渡辺さんにも救われました。

映像のみどころは、もちろん参加者の方々の声の応酬、創作のプロセスになるのですが、もうひとつ、この企画の舞台となったShyが映っていることがあげられます。7月の終わりに、齊藤さんと映像素材を振り返りながら、会場となったShy自体が、ある種の直方体であり、QUADの幾何学図形につうじているのではないか、という話になりました。そして、色味からして、この空間はどこか青に満たされていて、なにか水中のようなイメージをたたえているのではないか────そこに窓から透けるように交通してゆくことができる……。そのようなわけで、9月上旬に、齊藤さんと泊まり込みで、日の出直前の青みがかったShyを撮影したりもしました。室伏さんが残してくれた本に囲まれて、音源に囲まれて、ほんのわずかなこのスペースが、不思議な強度を保っている……。そんなわずかばかり映っている風景もふくめて、楽しんでいただければ、と願っています。

髙山花子

東京大学東アジア藝文書院(EAA)特任助教。昨夏以来、室伏鴻アーカイブカフェShyで調査をしている。いま興味があるのは、非言語・音響によるコミュニケーションと人間の生の条件。著書に『モーリス・ブランショ——レシの思想』(水声社、2021年)、共訳書にモーリス・ブランショ『文学時評1941-1944』(水声社、2021年)がある。