鴻英良
「〈外〉の千夜一夜」というタイトルになるのかどうかもわからないのですけども、要するに、メキシコから一応呼ばれていて、そこでなにか室伏鴻に関するイベントをやることになっていて、そのためにそこで何をやるかという準備をはじめようではないかということで、これから月に1回くらいのペースで研究会的なことをやるということになりました。で、一応私もそこでちょっと何かを喋るみたいな風な形で決まっていたんですけれども、ひと月ちょっと前に、そのはじまりとして、宇野さんたちが3人で、フランシス・ベーコンについてという話をしました。フランシス・ベーコン、ドゥルーズの『感覚の論理』という本をめぐって3人の方が議論されたんですね。で、それを聞きながらですね、なるほどなるほどというか、そうですか、みたいなことを含めて、聞いていたらですね、ただし私は夜の10時くらいに体の具合が悪くなって帰っちゃったので、その後どういう議論がなされたのかよく知らないんですけど、そのときに思っていたことと、それから何を感じたかというのをこれからしゃべります。
実は昔ね、フランシス・ベーコンについて、私文章書いているんですね、短い。
で、そこで書かれている、自分が書いたんですけど、そこで書かれていることと、それから、一月前に宇野さんたちの話を聞きながら思ったことがですね、全く逆なんですね。困ったものだという話をしようと思うんですね。
要するに、脱領域化とか、de formationというようなことが、ベーコンをめぐっても語られているんですけど、それでベーコンの絵を見せながら宇野さんたちが、いろいろしゃべっている中で、要するに、崩れていく肉体ですよね、崩れていく肉体、で、しかも枠組みから外れていく肉体のしぶきみたいなことを喋るのを聞きながらですね、直接そこでは僕がいたときにはまだあんまり議論されていなかったんですけど、室伏さんの体と、というか舞踏の形と、フランシス・ベーコンの描いた、崩れていく、脱落していく、滴り落ちる体というのが似ているから、宇野さんたちは、一方において、室伏さんの舞踏についてなんとなく念頭に置きながらフランシス・ベーコンについて話をしているみたいだな、と思いながら聞いていたんです。
そういうようなことを考えながら聞いていたんですけども、その後の議論には参加できずに私は具合がどんどん悪くなってきて帰っちゃったんですけど[その後、鴻氏の体の具合はさらに悪化し、結局、氏は、体調不良のため、メキシコ行きを断念する:渡辺注記]、で、今見てもらったのは、これ1998年、ちょうど18年程前の、ダンス白州での映像だったわけですけども、丁度そのころ、97年なんですけども、僕は、いまは亡き「アサヒグラフ」という週刊写真誌に演劇についての連載をしていたのですが、その第1章を、「皮膚の時代」と名づけて、色々な演劇やダンスについて書いていたんですね。
主に、ピナ・バウシュとか、フォーサイスとか、そういう外国の現代ダンスとか、それからあと、ニューヨークの90年前後のパフォーマンスアーティストたちの崩壊する皮膚というテーマに興味があってですね、そうした作品について、エイズの身体っていうようなことばを使いながら書いていたんですね。
そのときに、アルトー、要するに、この辺は宇野さんたちの中心的なテーマですけど、アントナン・アルトー、フランシス・ベーコン、あと誰だったかな。
その、そういう…、あの、ちょっと本があったほうがいいかな・・・[室伏鴻の書棚にある『二十世紀劇場』を取ってもらう:渡辺]。自分の本なのに、なんですが…(笑)。ちょっと話があっちこっち飛ぶかもしれないんだけど、要するに、そういう作品を議論するときに、タイトルとして皮膚ダンスとかですね、崩壊する表皮とか、掻き傷から皮膚へ、虐待される背中、救いのない皮膚、とか、本当に絶望的なタイトルが並んでるんですけれども、その中で、舞踏の身体というのはエイリアンの身体に似ていると実はここで書いているんです。私がね、結構いろんなとこで言っていて、だからその頃、98年のこの室伏さんのダンスを見た直後に、なんとなく立ち話したんですよね。
そのときに、室伏さんのダンスってエイリアンみたいですねと言ったら、そしたらなんか、なんかよくおぼえていないんだけど、なんか喜んでいたような怒っていたような、よくわかんないような表情をしたんですよ。
1948年、静岡県生まれ。東京工業大学理工学部卒、東京大学文学部大学院修士課程修了。現在、演劇批評家。著書に、『二十世紀劇場──歴史としての芸術と世界』(朝日新聞社、1998年)、訳書に、アンドレイ・タルコフスキー『映像のポエジア──刻印された時間』(キネマ旬報社、1988年)、タウデシュ・カントール『芸術家よ、くたばれ!』(作品社、1990年)など。