24 Jun.2017

室伏鴻の舞踏における「外」、あるいは死の意味について

越智雄磨

01
舞踏の始祖である土方巽の「舞踏とは必死で突っ立った死体である」というテーゼは、舞踏を考える上での重要な点であることは確かである。しかし、1973年に踊ることをやめ、1986年に亡くなった土方巽は室伏のように「外へ」とは言わなかった。これは土方と室伏を決定的に分かつ事実なのではないか。本発表はこうした仮説を出発点にしている。

土方は1985年に「舞踏フェスティヴァル」が開催されたあと、「これで舞踏は終わりだね」と言い残し、その翌年の1986年に亡くなった。しかし室伏鴻は、師である土方巽の死後30年間舞踏を踊り続けなくてはならなかった。土方と異なる時代を舞踏家として生きる上では、室伏が土方と異なる思想や方法を打ち立てる必要があった、と考えることは不自然ではないだろう。

土方と室伏を分かつ決定的な違いはその読書対象からも推し量ることができる。よく知られているように、土方巽は三島由紀夫の『禁色』を題材とし、1959年に舞踏を開始した。また、文学者澁澤龍彦や種村季弘と交流を持ち、マルキ・ド・サド、ロートレアモン、ジャン・ジュネのような異端の外国文学を舞踏の創造のインスピレーションの源泉とした。一方で室伏は、室伏鴻アーカイブに収蔵された蔵書やメモからも明らかであるように、土方から強い影響を受けつつも、ミシェル・フーコー、ジル・ドゥルーズ、フェリックス・ガタリ、ジョルジュ・バタイユ、モーリス・ブランショなどフランスを中心として起こった現代の哲学の書物も膨大に読んできた。室伏は「外へ」という概念を現代哲学に触れながら涵養したが、そうすることで、土方亡き後の時代を生きなければならなかった自らの舞踏を追求し続けることができたのではないか。

土方が亡くなった1986年に、室伏は「〈外〉の舞踏宣言」を書き、舞踏の新たな時代を踏み出した。言い方を変えれば、室伏は「外」という考えを介入させることにより、土方とは異なる方法で、舞踏における死や死体の表象が持つ意味、意義をアップデートしてきたのではないのか。それが、本発表の仮説である。

02
舞踏研究者カティア・チェントンツェは1960年代の日本における政治運動とアヴァンギャルド芸術の並走関係に注目し、舞踏もまた芸術を資本主義的な経済原理から守る抵抗の運動のひとつだったと見ている。またそれは西洋のダンスにおいて培われたテクニックを拒絶し、日本独自の身体芸術を生み出す運動でもあった。チェントンツェはさらに、ギー・ドゥボールの理論に立脚しながら、60年代以降、グローバルに進行していた「スペクタクルの社会[*1]」への抵抗として、あるいは資本主義経済の中で進行する「人間の優位性の喪失」への抵抗として土方、室伏の舞踏を位置づけていく[*2]。ドゥボールのスペクタクル=見世物の社会とは、ドゥボールによる当時の社会状況を暗喩的に言い表した言葉であり、端的に定義するならば、マスメディアの発達とともに資本主義の形態が情報消費社会へと移行し、生活の(大部分)がメディア上の表象(イメージに左右される)状況を指す。そのような状況において、土方や室伏が考えていた舞踏は、逆説的であるが、死を経由した、人間の生の回復、human masteryの回復とみなすことができる。

チェントンツェの見方に加え、さらにここで、室伏独自の「外」という思考を考えるにあたって、本流からは外れるかもしれないが、私はフランスの現代思想家のジャン・ボードリヤールの考えに注目しながら解釈を試みてみたい。理由は3つある。1つ目にボードリヤールはかつて、室伏鴻がフランスで行った舞踏を観ていること、2つ目の理由として、ボードリヤールは自らの社会学の理論を構築するにあたって、60年代のギー・ドゥボールの思想を現代社会に敷延していると考えられること、また、3つ目の理由として、現代の高度消費社会においては一見もっとも無用で価値をなさないものにも思われる「死体」に特別な価値を認めた思想家だからである。

ボードリヤールは1985年に室伏の舞踏をフランスで見て、批評を書いた。その批評は短いながらも的確に西洋的なダンスと真逆に位置する室伏の踊りの美学を捉えている。ボードリヤールは西洋のダンスでは手足を伸ばし切るが、それとは反対に、室伏の踊りは身体を収縮させること、そして室伏の痙攣する身体を驚きとともに観察していた。一部引用してみたい。

捩れた身体、電気の走ったような、不動の、また常に精神の感電死した状態にある。アルトーが言ったように、その身体の手足は互いに捜しあい、知略に満ちた諸形態が塩の柱の間できらめく。その身体は周囲の空間を引きつけ、身体を笑わせ、西洋のダンスの伸びきった身体とは異なり、震えている。それこそが、この痙攣した、縮んだ裸体の戦略である。〈中略〉そして痙攣的な身体は、優雅にそこで展開するのではなく、空間をその身体に中に引き込むのである。それこそが残酷さの秘密である。解けるのではなく結ばれる諸記号。そして、地面に視線を引きつける諸記号。西洋の振付が行ってきたように抽象的な空間を満たそうとするのではなく、身体の内部に全ての空間を帰着させなければならない。そして、それは常軌を逸した裸体、激しい苦痛を伴う刑罰に処された裸体を代償として行われるのだ。それは決して享楽的ではなく、つまり我々の感覚、想像力にとって残酷なのである。[*3]

ボードリヤールのこの証言は、室伏の舞踏が、典型的な西洋のダンスとは全く異なり、空間を記号や身振りによって占有していくのではなく、反対に身体の内側に「外部」の空間を引き受け、体にのうちに収斂させていく真逆の作用が働いていることを示している。そして「残酷」という形容が物語っているように、室伏の舞踏は視線に心地よく消費されるスペクタクルなどではなく、むしろ観客に、苦痛を経由した覚醒をもたらすものである。ボードリヤールの批評は、当時フランスで行われた室伏の舞踏の苛烈さを想起させると同時に、我々の感覚を、想像もしないやり方で外部に抉じ開けるものであったことを思わせる。

ボードリヤールはまた、高度消費社会におけるファッションや広告などのメディアにおいて記号化され、記号として消費される身体の問題を扱った思想家である。高度消費社会、情報化社会における人間性の疎外を批判的に観察したという意味では、ドゥボールとボードリヤールの立場は近いと言える。しかし、ドゥボールとボードリヤールが生き、思考の対象とした時代は異なる。ちょうど土方が踊った時代と室伏の踊った時代が異なるように。美学者の林道郎はボードリヤールの著書『象徴交換と死』に対する注釈の中で、ドゥボールの指摘するスペクタクル(見世物)とボードリヤールが指摘するシミュラクル(見せかけ)との、類似してはいるが、異なるこれら二つの概念について次のように述べている。「スペクタクルという語は演劇的な構造──つまり舞台があって観客としての消費者が客席の側にいて距離を持ってそれと対峙しているというイメージ──を連想させる」と述べている[*4]。一方、ボードリヤールがいうシミュラクル(模像)は、「魚にとっての海のように、私たちを完全に取り囲み、私たち自身の身体から何から、すべてのものの生存環境になってしまっていることを強調する」ものである[*5]。つまり、環境と化したシミュラクルの中では、人間の取る選択や行為が、それが抵抗の身振りであったとしても、あらかじめ消費社会のコード体系の内側に想定範囲内の出来事として即座に吸収される。あるいはそれ以前に、60年代の舞踏やアヴァンギャルド芸術にも実際の政治運動にも見られた反体制、抵抗、拒絶という身振りそのものの可能性は、すでに潰えている状態とも言い得るかもしれない。つまり、我々がもはや生存環境となったシミュラクルに取り込まれている以上、私たちはもはや反抗すべき対象を見つけることも困難であり、あったとしても環境の一部であるために、真に批判的な距離を取ることは困難である。

ボードリヤールのこうした考えを敷衍すれば、シミュラクルの時代である現代における身体はそれ自体が、消費のために交換されるイメージや記号となる。このことは、1970年代に土方がすでに見出していた舞踏の商品化から現代に至る舞踏の様式化、80年代以降多く見られると言われる舞踏のコピーの横行にも通じるだろう。また60年代のアングラ演劇や舞踏において、血の通った生々しさをニュアンスとして感じさせる肉体という言葉がよく使用されていたのに対し、80年代、90年代以降になると、身体の生々しさが中和されたような身体という言葉が使われるようになった変化とも対応するかもしれない。こうした状況下にあった舞踏に関して、チェントンツェは「アングラシーンから出現した舞踏は、不可避的に制度化の幾つかの段階を通過することになった。そして少なくともある部分ではシステムそのものに吸収されたのだ[*6]」と述べている。

60年代のスペクタクルの時代には抵抗や拒絶の身振りとして機能した舞踏は、80年代以降のシミュラクルの時代にはそのような力をある部分では失い、土方自身も感じていたように舞踏も全く記号化や商品化を免れるとことはできなかったと推測される。システムに吸収された肉体は叛乱する対象を見失ったのである。そのように考えれば、土方が踊るのをやめたのはある意味必然だったと言える。

このように土方が通過しなかった時代を、通過せねばならなかった室伏鴻は、それゆえに「外へ」という思考にこだわる必要があったのではないか。室伏がそれを意識していたかどうかは別として、1960年代のドゥボールのいうスペクタクルの社会の時代から1970年代末から1980年代以降のボードリヤールがいうシミュラクルの時代へのシフトに、室伏の「外」という思考の錬成に向かった過程は対応しているように思われるのである。

抵抗の身振りであったはずの舞踏すらも様式化、記号化あるいは商品化を免れない時代に、舞踏を続けるにはどうすれば良いのか。その答えは、ボードリヤールが見出す提案に見出すことができるのではないか。すなわち、資本主義的な交換経済の鎖を断ち切り、シミュラクルに取り囲まれた環境に風穴をあけるためにボードリヤールが行った提案に、おのずからその答えを見出すことができるのではないか。

ボードリヤールの『象徴交換と死』において最も重要な点は二つある。

一つは、現代の資本主義消費社会における記号化された価値体系を相対化し、距離を取るために全く別種の経済体制、すなわちポトラッチに代表される象徴交換の機能に注目していることである[*7]。「象徴交換」とは、文化人類学者のマルセル・モースやブロニスワフ・マリノフスキーが考察したプリミティヴな社会の組織原理であり、贈与と返礼を通じた交換形態のことである。もう一つの、重要な点は、シミュラクルに覆われた世界に亀裂を走らせるものとしての「死」である。言い換えれば、シミュラクルに取り囲まれた記号の差異化と消費のゲームに終止符を打つものとしての死である。ボードリヤールによれば、死とは、西欧型近代社会の合理主義的思想が価値の零度として捉え、排除してきたものであるが[*8]、オリジナルなきコピーが蔓延する世界にあっては、死はほぼ唯一のオーセンティックな事象としての価値を持つ。こうしたボードリヤールの思想と室伏の思考と実践には共鳴するものがある。室伏鴻が意図的に作り出そうとしていたのは、その創作ノートからも伺えることだが、資本主義的な交換の経済の外部にある純粋な身振りや、死、無用の身体、不能の身体だったからである。そのような思想を持つ室伏が、死のプロセスの痕跡を、現代にとどめる即身仏に魅せられたのは、当然の帰結といえるだろう。またそれは、室伏が土方以上に、贈与や死をめぐる思考に向き合ってきた理由とも考えられる[*9]。生の充足すらシミュラクルという見せかけによって得られている時代なのだとすれば、なおのことである。

03
室伏の舞踏と死の関係に関する考察を進めるために、もう一人の哲学者による仕事に頼りたいと思う。生前に室伏が所蔵していたアルフォンソ・リンギスの『何も共有していない者たちの共同体』である。この書物でリンギスは、現代の社会全体がメッセージ、財、サービスの交換によって人々が関係を結び、そこにおいて親族性を承認しあっていると述べる。つまり、経済活動を主たる場として人々は関係を結び合っている。しかし、それは同時に、同意や契約の外部に存在する人々を野蛮人や怪物とみなし、排除する傾向があることを指摘している。ここにおいて、リンギスが重要視するものもまた、「死」である。経済的契約による交換を通して結ばれる親族性の承認の彼方に、「死」によって連帯する別の形の共同体が存在するという。それがリンギスの言う「何も共有していない者たちの共同体」である。それがいかなるものか、リンギスの言葉を引用してみたい。

[死の共同体を構成するものは]何も共有していない者たちの、あるいは何も作り出さない者たちの、死すべき運命において見放された人々の友愛である。この友愛は、洞察や指示や財の交換ではなく、異なった個人の様々な生の交換において現実のものとなる。人は、他者を飲み込もうとして大きな口をあけている死の場所に、自分の身を完全に置くときに、その他者の兄弟姉妹となるのである。

親族性を超えたところにあるこの死の共同体(…)を見つけるためには、私たちは、親族性から最も遠い地点にある状況に、自分自身を見いだすか、想像力を使ってそうした状況に、身を置いてみようとしなければならない。[*10]

このリンギスの言う「死」によって連帯すること、すなわち「何も共有していない者たちの共同体」をめぐる言葉を目にした時、私には、自然と室伏鴻の舞踏と即身仏のことが想起された。我々が通常属する社会的、経済的関係、利害関係の外部へと我々を誘うものが死であり、室伏も、即身仏も死という外部への経路を私たちの目に見える形に可視化し、そこにおいて共同体を構成する可能性を見せてくれるからである。たとえ、何も共有するものを持たなかったとしても。

  • 1.Artwordの以下の記述を参照。「スペクタクルの社会とは、マスメディアの発達とともに資本主義の形態が情報消費社会へと移行し、生活のすべて(大部分)がメディア上の表象(イメージに左右される)としてしか存在しなくなった状況を指す。その後『スペクタクルの社会についての注解』(1992)が書かれている。スペクタクルの社会で中心を占めるのは徹底して受動的な消費生活をおくる「観客」、すなわち保守的な中間階層(いわゆるサラリーマン層)であり、搾取の場は工場よりも日常生活となり、労働と生産をめぐる闘争よりも余暇と消費をめぐる闘争が重要となる。反体制的言説自体がパッケージされたメディア的情報として(したがってしばしば商品として)制度に同化吸収され、逆にメディア的権力性そのもの(例えば監視の概念など)が社会の無意識となるまでに一般化することである。したがってスペクタクルの社会は、例えば往々にして単なるメディア操作などと安易に混同されがちであるが、実はまったく逆であり、むしろ操作の概念が一般化してしまうことによって、一見反体制的な言説がまったく抵抗としては機能せず、むしろスペクタクルの連続性と支配を強化することにしか寄与しない状況をいうのである。」(http://artscape.jp/artword/index.php/『スペクタクルの社会』ギー・ドゥボール)
  • 2.Centonze, Katija, Resistance to the Society of the Spectacle: the “nikutai” in Murobushi Ko.
  • 3.ボードリヤールが1985年に雑誌La Scèneに書いた評論 から訳出。
  • 4.林道郎『死者とともに生きる』、現代書館、2015年、pp.18-19.
  • 5.Ibid.,p.19.
  • 6.Centonze, Katija, “Resistance to the Society of the Spectacle: the “nikutai” in Murobushi Kō ”, Danza e ricerca, Numero 0 (ottobre 2009), p.164.
  • 7.近代社会が、一般的等価物としての貨幣を仲介した等価交換を当然の前提としてるのに対して、象徴交換は原則として貨幣を仲介しない儀礼的交換であり、南太平洋オロビリアンド初頭の住民のクラ(社会的地位のシステムが組織される装身具など貴重品の象徴交換)や北西アメリカ先住民のポトラッチ(貴重な財を互いに壊し合う、富の競覇的破壊による象徴交換)に、その実例を見出すことができる。(塚原史『ボードリヤールという生き方』、NTT出版、2005年、p.98
  • 8.「スピノザも、死を論ずるのは不健康で少々倒錯的なことであり、叡智は死については省察せず、生について省察するものである、と述べています。」ウラジミール・ジャンケレヴィッチ『死とはなにか』p.13
  • 9.Dead1アフタートークのために」おいては死体や無用の身体についての記述が見られる。室伏鴻の読書ノートには宇野邦一の「舞踏—奇妙なポトラッチ」(1984)の詳細なノートが含まれている。また、蔵書には贈与に関する書籍が複数見られる。
  • 10.アルフォンソ・リンギス、野谷啓二訳『何も共有していない者たちの共同体』、洛北出版、pp.197-198.

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Profile

越智雄磨

1981年生まれ。早稲田大学坪内博士記念演劇博物館招聘研究員。
日本学術振興会特別研究員、パリ第 8 大学客員研究員を経て現職。専門はフランスを中心としたコンテンポラリー ダンスに関する歴史、文化政策、美学研究。早稲田大学演劇博物館においてコンテンポラリーダンスに関する展示「Who Dance? 振付のアクチュアリティ」(2015-2016)のキュレーションを担当。
編著に同展覧会の図録『Who Dance? 振付のアクチュアリティ』がある。
論文に「ジェローム・ベル《The Show Must Go On》分析」(2011)、「共存のためのコレオグラフィ : グザヴィエ・ル・ロワ振付作品における「関係性」の問題について」(2014)などがある。

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