中島那奈子
ここでは、研究会のテーマになっている室伏鴻の「外」という意味を、ダンスする身体のコンセプトとして考察する。室伏は、1986年に〈外〉の舞踏宣言を発表している。そこで、「外とは、それらの複数の声によって照射されるところの、すなわち絶対的に単一的に名ざされることから外れてゆくところのなにものか」と記している。ここでは、唯一の絶対的概念規定を乗り越える、複数の声によって照射される何かとして「外」が考えられている。
では、この「外」は具体的にはどのような身体行為となって現れていたのだろうか。ダンス批評家の桜井圭介は室伏の舞踏を、放浪の果てに場所に根をはらず移動し続ける常に外であるような表現及び身体と描写している。彼は、室伏を「舞踏の黄金時代に名を馳せた後、早々と国外に去り、以来ヨーロッパそしてメキシコにいたる都市を転々と堯行しつつ踊ってきた結果、場所=共同体に根を張らない、「常に此所でないこと」「外」であるような表現/身体に至った」と記している。彼は、絶えず移動する身体は、時差が常態となって、時間の軸から自由になるという示唆を加える。この、グローバルに移動して活躍する室伏の舞踏家のあり方と、室伏の舞踏で身体の内側から隆起してくるもう一つのカラダとの二つが、「外」の舞踏と名付けられて重ねられる。
身体の移動に関連して、リトルネロと外の作品に関する宇野邦一との対談では、室伏自身も、領域性に言及している。ここではダンスが、技術的に卓越するものとしてあるのではなく、その場その場のものと結びつき、場所から出ることへのためらいや恐怖の繰り返される身振りとして考えられている。「外」というタームは、自分のテリトリーや領土性、領域性を考えさせるものとして、ここでは議論される。自分の領域の外に出ることで、初めて自分のホームが見えてくる。室伏にとって旅とは、外のものに対して自分の体をさらし、思考の種を生むことだという。
また、舞踏の内と外を乗り越えるダイナミクスとして立ち上がる、ノマディズムに関して、室伏はこうも記している。「「最初の舞踏家は旅人であった」と僕は書く(中略)ノマディズムに於いては面のみが問題なのだ。なぜならいかに条理的に選別、分節化された空間もすなわち、内・外に区別された空間をノマディックにあっては、一枚の敷きのべられた〈皮膚〉のように滑走することが可能だ。ノマディックにあっては内側が外側へ連続することによって……全ては素顔へと露らわになる。」この領域やシステム、ディシプリン間を移動することによって、内と外が区別されて認識されるだけでなく、その双方が身体の皮膚のように繋がっていくという認識がみられる。このシステム間を移動することによって、二つの関係を変容させて一枚につなげ、室伏の身体や感覚範囲を拡張させたことが考えられる。
また室伏は、「ツァラトゥストラ」の再演(2005年)の際に、踊りとは約束した文法の「外」に出ることと、記している。「踊りのなかに踊りがあるのではないからだし、踊りとは私たちの生の内側にその外を穿つときに成立するものだからだ。踊りとは皆が約束した踊りというその文法の外へ〈躍り出る〉ことの難しさと易しさを言うのであるから……。」舞踏は、私たちの生の内側にその外を穿ち、舞踏のシステムから外へと出ることで、そのカラダの内が模索される。
古くから芸術家や職人は知識や刺激を求めてヨーロッパ中を旅して周り、別の文化圏に足を踏み入れることで、芸術に関する理解を深め新たな技巧を習得していった。ドイツで活躍したアメリカ人振付家ウィリアム・フォーサイスも、今日彼は、旅に出るような方法でのみ、ダンスをし、ダンス作品を創作するという。そのような旅というのは、内容がとても凝縮された旅であって、それはまた(ダンスについての)情報を与えてくれるある状態を、一心に探し求めていく思いでもあるという。常に旅をして移動しながら作品を作ってきた室伏と、このフォーサイスのコメントには、ダンスやダンスする自らの身体のうちに、外からの新しい要素を取り込もうとする芸術家の探求がみられる。ただ、自らの生活圏、文化圏の「外」に出ることは、グローバル化に伴うインターカルリュラリズムや、市場主義経済、エキゾチシズムの問題が伴い、常に矛盾を伴って働くことになる。そこには常に相反する多種多様な受容モデルが混在する。
その場の枠組みから常に外れていく、それ自体も変化し続け、自らを同時に対象化し客体化するような身体のありかたは、土方巽の「はぐれてしまった身体」の、もう一つの解釈とも考えられる。土方は、舞踏が生まれた瞬間からはぐれてしまった自分と出会うことであり、それはつまり、西洋のダンステクニックや日常の社会的な規則に慣らされて、飼いならされた身体とは対照的なものだという。またこれは、小児麻痺の人の動きに土方が興奮したように、健常者による社会的な動きのシステムから外れた、予測できない、逸脱する身体の動きとも言える。そして、この元の社会的システムに飼いならされた身体は、一つの場所から別の場所へと移動することで、その楔からも外へと抜け出ることになる。
フーコーも、ブランショについてのテクストの中で、近代的理性のシステムの「外の思考」を提唱した。フーコーによると、ある体系の真理はその真理という中心によって育まれた体系からは判断不可能であり、真理の体系の外から真理を測定するために、理性や真理によって体系化された知から外れた外の思考を模索すべきという。これは文学論、言語論として述べられているのだが、そうした言説の外に出て、フーコーはその理性が排除してきた狂気、病、犯罪、性倒錯といった非理性的領域から、その枠組みを作ってきた理性そのものを輪郭付けた。自己の外に出ることに関わっても、最終的には存在や言葉、つまり言説である思考の内面性のうちに、自己を見出すという。室伏の「外」も、そういった舞踏の体系から外の視点を、カラダの内にうがつことと言えるかもしれない。
その関連で触れておきたい視点が、舞踏成立へのアフリカ系ダンスの影響である。舞踏の初期には自らの外に存在する、本来ならばエキゾチックな要素であるアフリカ系カリビアンダンスの影響も取り込まれていたという意見があり、これによるならば舞踏のもう一つの系譜をたどることができる。有光道生は、アフリカ系アメリカ人振付家トラジャル・ハレルが土方巽に関する作品を創作する際に記したテクストで、土方巽の「禁色」での身体の黒塗りや鶏をしめころす行為は、来日公演を行っていたアフリカ系アメリカ人舞踊家キャサリン・ダナムの影響ではないかと推測している。ダナムは1957年の来日公演で原始美を売り出し、舞台上で西インド諸島のブードゥー儀式として黒い鶏を絞め殺した。土方巽の黒塗りや1968年の「肉体の叛乱」でのアフロヘアは、ダナムの舞台や稽古を見ていた土方が、当時そのエキゾチックと受け取られたアフリカ系ディアスポラによる「外」の文化を舞踏に組み込んでいたという。このダナムと土方との関連は、若松美黄や三島由紀夫も記しているものの、その後、ヨーロッパ中心主義的近代化へのアンチテーゼが強調される舞踏論によって、アフリカ系の人種的文化的特徴もヨーロッパとしてひとくくりにされ、それ以降の言説では消えてしまったと有光は述べている。
室伏のいう舞踏の「外」とは、旅や移動を通して、新しい外のシステムに自分の身体を投げ出し、そうすることで、その自分とその身体を踊りによって拡張していくことと考えられるのではないか。そこには、一つの領域の外にあるものへの、エキゾチックな興味が常につきまとう。また、芸術家もひとつの政治的言語的社会文化的システムに依存している中で、異なる文化圏へと移動し続ける矛盾と苦悩は表裏一体であり、それゆえにこそ、自らの新しいからだの内を探し続ける態度として、このような「外」の舞踏が現れるのではないか。
1978年生まれ。日本舞踊宗家藤間流師範名執藤間勘那恵。成城大学大学院美学美術史・ニューヨーク大学パフォーマンス研究科修士課程終了。2003年から2007年にかけて早稲田大学演劇博物館21世紀COEプロジェクトに研究員として参加。2004年から2007年まで米国ニューヨークに滞在、2006年よりニューヨーク大学客員研究員、その間マサチューセッツ州Jacob’s Pillow Dance Festival研究フェローとしても活躍(2006年)。2007年よりドイツ学術交流会(DAAD)の支援を受けてベルリン自由大学で研究を行い、論文『踊りにおける老いの身体』で博士号取得。2010年ベルリン自由大学演劇研究所、助手。2011年より埼玉大学及びベルリン自由大学に、日本学術振興会 特別研究員(ポストドクター)として着任後、現在はベルリン自由大学国際研究センター、インターウィービングパフォーマンスカルチャーズ・フェローとしてベルリンと、愛知大学(メディア芸術専攻)、尚美学園大学(舞踊学科)でもダンスの教鞭をとる。2004年からニューヨーク及びベルリンで、ダンス・ドラマトゥルクとしても活躍し、ドラマトゥルギーとしては、Luciana Achugar「Exhausting Love at Danspace Project」(2006年度ベッシー賞受賞)、砂連尾理「劇団ティクバ+循環プロジェクト」、オンケンセン ”OPEN WITH A PUNK SPIRIT! Archive Box” 、セバスティアン・マティアス ”x / groove space”などがある。2012年にベルリン、2014年に東京で国際ダンスシンポジウム「踊りと老い」を企画・開催し、ダンスプログラムのキュレーション「ダンスアーカイブボックス@TPAM2016」も手がける。著書にThe Aging Body in Dance (Routledge, 2017)など。