24 Jun.2017

内と外のはざまで─ことばを巡って

狩野晃一

私が室伏さんと初めてお会いしたのは2014年10月だったと思います。その前にウィーンでしたか、公演でお使いになるというパンフレットを翻訳したのがきっかけでした。実際にお会いしたのは、もう1回その後、品川の駅だったかな。駅の中の和食屋さんで昼からビールを飲んで、大変気分のいいお昼を過ごしましたけれども、全部で2回だけです。

最初にお会いしたときに、夕食で中町(山形県酒田市中町)の出島さんというところですけれども、とてもクラシックな庄内料理を出すところです。そこで食事を取りながらお話しさせていただいて、室伏さんが随分昔の学生時代に出羽三山を訪れて、そして山にこもられて山伏修業もされたということをお聞きして、いろいろご縁があるのかなと。それにヘアスタイルというのでしょうか、ヘッドスタイルというのでしょうか、それも似ているというか、同じでしたし。そういうわずかな出会いの機会を得ることができたのは、いずれにせよ、良い邂逅であったとも言うべきでしょうか。そのようなわけですので、室伏さんのことを語る、ましてや彼の舞踏について語るということは私には到底できることではございません。幸い一番目に当てられておりますので、導入的な部分で始めてみたいと思います。

私の専門としているところは、中世ヨーロッパ、特にイギリスの言語と文学です。何の関係もなさそうですが、一体どうなんでしょう。それから私は僧籍にあります。曹洞宗の坊主です。そうすると何となくタイトルにも関わってくるような、即身仏なんていうふうに関わってくるようですが、残念ながら曹洞宗ですので、即身仏とは直接関わりが持てないというか、ないわけです。

即身仏というのは一般的な仏教の知識でいうと、世の中の平穏、平和、安穏を願って、自らの意思で五穀を絶って、木食(もくじき)というんでしょうか、木を、木の実とか木の皮を食べて、自分の中にある炭素の分量を減らしていくということらしいですが。そこで土の中に作られた石室にこもって、生きながらの身のままで仏になる。一般的には日本では空海様が始められたとか、空海様はいつでも高野山の奥の院にいて、今でも即身仏のお姿だとか、そういうことをいわれていますけれども、それは置いておきましょう……。特にこの出羽三山、それから日本海側ですね、新潟県、石川県の辺り、そういうところでよく行われた。特に江戸後期から明治にかけて行われたということでした。私も何遍か拝観させていただきましたけれども、海向寺様、注連寺様、大日坊様、それから鶴岡の南岳寺様、それぞれにやっぱり激しいくらいの思いを蓄えて入滅なさったというか、入定(にゅうじょう)というんでしょうかね。定に入る、定める、入ると書きますけど、入られたというわけです。

室伏さんの《木乃伊》というんですか、木乃伊と書いてミイラと読むみたいですけれども、1980年のものをアーカイブで拝見しました。そうすると静かに始まって、徐々に動きが大きくなっていっています。その過程で何かおそらく自存するものが外へ絞り出される、あるいは絞り出そうとするような、そういう動作が、少なくとも私にはそう見えたんですけれども、そういうものが感じられました。

これがおそらく即身仏にならんとする行者、と言わないで行人と言うらしいですが、行人であったならば、うごめきとか、うめきとか、そういうものの動きというのは何に相当するのか。そういう疑問が湧くわけです。行人であったならば、何を内から外へと放出するのでしょうか。即身仏になる、あるいはなられた行人という方は、果たして室伏さんがするように、のたうち回るのでしょうか。私の答えは否なんです。おそらくその行人の方々はじっとお座りになって、チリンチリンと鈴をお鳴らしになって、そしておそらく命尽きていくのだろうと思います。

では、室伏さんのあの動きは一体何なんでしょうか。身体の動きというものでなければ、それはおそらく精神・思考・言葉というものの動きなのではないかと思います。しかし、元に戻って考えてみると、即身仏の目的とか目標とするものというものは衆生の済度。一般の人々、苦しんでいる人を救うというものが目的でしょう。その衆生の、民衆の苦しみからの解放であったはずなので、そうすると室伏さんの動きというのは民衆の苦しみか。というと、そうともストレートには考えにくいわけです。では、民衆の苦しみを背負った行人としての苦しみの発露であろうか。その辺りの解釈は今となっては判然としないわけですけれども、いずれにせよ、言葉に容易に翻訳できないものを抱えつつ、肉、身体を通して外へと出ていく、そういうプロセスが室伏さんの身体によって語られている。そういうような気がします。

その中で言語表現としての限界というものも見せつけられるような思いもしました。例えば、異なる母語を持った人。例えば日本語を、――あれは《MU(s)》という踊りでしたっけ。《MU(s)》というダンスがありましたね。あれは何か烏が「クラクラッ」と鳴くようなやつと、フランス語と日本語が混ざっていました。そういう、ある母語を持っていない人に誰かの母語をしゃべらせるというような、そういうものもありまして、これがたぶん室伏さんが言っていたミクスチャーとか混成とか、そういうものだったような感じがします。ハイブリッドとも書いてありました。《Krypt Blues》というんでしたね。ここはその言語だけじゃなくて、鳥のうめき声というか、鳴き声みたいなもので生み出されています。

言語を扱う者として普通こういうことを考えるんですね。自然言語というのは、本来はそれぞれの言語の大枠の中で、言語の中においておおよそ決まったその音の、音素といいますけれども、その配列によって語の意味が決まってくるわけですね。日本語で言えば、 /i/というのと /n/ というのと /u/ という、この3つの音が合わさると頭の中に4つ足の猫ではないものが浮かび上がってくるわけですね、犬と。だけど、これが英語で言うところは、/d/ というのと /o/ というのと /g/ という3つの音が並ぶことによって、同じものが頭の中に出てくるわけです。この音の並びが違うだけで、その意味を表す。表す対象が異なっても――同じものを指そうと思っても、違う音の並びで指すことができる。言語が違うというのはおそらくそこなんでしょう。そういう音の配列で、語の意味、それからそれが長くなった文の意味が決定されます。

この『Krypt Blues』ということでやられていることは一応、日本語、フランス語、日本語をローマ字表記したものをどうやら読んでいる。そういうもので書かれていますけれども、これをやる意味は一体何なのかと私は思ったわけです。結論から言うと、私には解体というか、いったん崩壊させる、決まったものを崩壊させる(deconstruction)というんでしょうか、そういうもののように思われました。室伏さん、ここでも言葉遊びを楽しんで、あるいは試していらっしゃるような感じがしました。これは、まさに言語と言語の間を行き来している様相を呈しているように思えました。私には、決して言語間の境界、日本語とフランス語という境界を超えて何かやっているというよりは、その間言語(かんげんご)というんでしょうか、言語と言語の間にあるところに室伏さんは留まらざるを得ないというんでしょうか。そこに居ざるを得ない。こっちに行くこともなく、あっちに行くこともなく、ここに居ざるを得ない。そういう感じがします。ここに居ざるを得ないといった意味は安住ではなくて、そこにいるのが心地良いじゃなくて、不安だけれども、そこにいなくちゃいけない。そういうどちらに行こうとしても表しきれない、行ききれない故に苦しみもしつつ、行きつ戻りつしているように思えました。

即身仏に戻りますけれども、行人の時代に、衆生のためにやることはとにかく凄まじいものです。そういうエピソードはいろいろ幾つも残っております。ある方は、その地域で眼病、眼の病気ですね、が流行っているというので、それが平癒するように、治るように、自分の目玉をくり抜いて川に投げ込むとか、あるいは陰部を切り取ってしまうとか、そういう激しい行為があるわけですが、この行為自体が直接的に衆生を救うものではないと、行人の方々も知っていたはずです。が、何がそういうことを彼らにさせるのか、どうして彼らはそういうことをするのだろうか。その衝動的にも見える行いと民衆の救いというものの間にある、言葉にならない、もがくような苦しみを生むようなその祈りとかいろいろなものが混合した、言葉にしてしまうと陳腐になってしまうような祈り。そういうものがあって、このプロセスですね。眼や陰部とかそういうものは欲望の象徴ですから。仏教で言うと無眼耳鼻舌身意(むげんにびぜっしんい)という、感覚器官を表します。そういうもののプロセスの果てに、ああいった行為があるのではないかと私にはそう思われるわけです。民衆の側から見れば、一種、狂気に近いけれども、自分たちのためにそこまでしてくれる行人であると。そういうふうに崇め奉る対象になっているわけです。

さまざまな思いや事象は言葉に一応表せることになっております。言語を獲得するということはその世界を分節化していくことでありますけれども、その区切っては統合し、区切っては統合し、こういう繰り返しを我々は普段やっているわけです。日常はその繰り返しで成り立っていて、だけれども室伏さんはいろいろな面でその逆をやっているような気がします。間言語、言語の間をわたるとか、あるいは非言語化するとか、ばらばらにしてその根源を探っていく。インタビューの記事を見たときに、根源ではなくて、彼は根拠というふうな言葉を使っていましたけれども、同じかと思います。

それで、その根源を探るんですけれども、ある一言語だけの枠では収まらないわけですね。特に彼の場合、ヨーロッパを遍歴していたということもあるでしょう。ある言語は他の言語の影響を歴史的・文化的に受けて成立しているのでしょうから、絶対的な根源というのはわからないじゃないかというわけです。室伏さんがやっていた、あるいは目指していたことは何であったのか今となっては知る由もありませんが、彼が宗教家になって民衆を救おうとは思っていなかったと思います。そうではなくて、ミイラになったならばそれを芸術として可視化、芸術表現しようとしていたのでしょうか。その祈り、思い、苦しみ、それを体現というプロセス。あるいは、プロセスというよりはトランジションと言うほうがしっくり来るような感じはしますけれども、そのトランジションという止まることのできない状態を外へ押し出して、私たちに見せてくれているのではないかという気になります。

言語に関して、専門に近づけて言うならば、中世の言語状況に似ているという感じですけども、中世のヨーロッパだとその識知層は完全にバイリンガリズムでした。上層の教会とか政治とか、そっちに関わっている貴族のほうはラテン語と俗語の2言語併用。それから下のほうの一般大衆は俗語のみの1言語の使用。それがイギリスの場合は実はもうちょっと複雑で、そこに英語・ラテン語・フランス語というのが入ってきて、3言語併用の世界だったので面白かったんですが。この2言語以上併用というのは、中世においてはどうやら感覚を鈍らせる。おそらく普通の日常会話は、土俗語(vernacular)でやって、けれども書き言葉としてはラテン語で書く。そういう精神の乖離が認められたというふうに文学者のモールトンなんていう人は言ったりしています。そうすると思想的に不自然なことがあったり、あるいは感覚が鈍化を起こす、理論と実際との間に溝が広がるとか、そういうふうなことがあって中世には精神的緻密さが欠けているなんて言う方もいらっしゃいます。

どうもそうは言っても室伏さんの場合を考えると、そこにはもっと精神的には緻密さが増していて、2言語どころではない、いろいろな言語をご存じだったと思いますし、行ったり来たり、あるいはそのエッヂですか。その際(きわ)でもって留まらざるを得なくて、そこで思考してという苦悶というか、そういうものをずっと抱えていらっしゃったのかな。ただ、お酒を飲んで、たばこを吹かしながらしゃべる室伏さんのお姿というのは、とてもそういうところはあまり見せずに、あっけらかんとして、すごく僕にはおつき合いのしやすかった感じがしたのですが、まあ間違いだったらすみません。

そんなわけで木乃伊も含めて少し話してみましたけど、的が外れていなければ良いのですが。以上です。

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Profile

狩野晃一

1976年群馬県生まれ。1999年駒澤大学文学部卒業後、2005年同大学院博士課程修了。博士(英米文学)2010〜2011年オックスフォード大学客員研究員(セント・ヒューズ・コレッジ)。現在、東北公益文科大学准教授。専門は歴史英語学、中世英語英文学。中世英語、ヨーロッパ文学に関する論文、翻訳多数。

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