鈴木創士
ところで、20世紀は、手当たりしだいに、そしてもうそれしか残されていないかのように、「存在」と「身体」の思想を探し求めましたが、それにはある意味で、当然のことながら歴史的条件が裏地のようなものになっていたと考えることができます。
われわれは、一方では、19世紀に名乗りを上げた医学的知見の爆発的進化の世紀、他方では、大量殺戮の世紀の「後」を生きています。短時間のうちにあれほどの死体の山が築かれたことはありませんでした。無意識と遺伝子は、瞬時にして大量生産される夥しい数の死体とほとんど対になっているかのようでした。ご存知のように、無意識も遺伝子も死体も、「人間」についての観念にとって完全なる他者でした。この点は重要であると思います。そもそも病んだ身体も健康な身体も死んだ身体もまた、われわれにとって他者であるからですが、無意識や遺伝子や死体となった身体はなおのことそうです。
しかし歴史的条件というものは、ご存知のとおり、たいていがほとんど負の遺産ですが、「存在」の後に、決まって再び「身体」が到来するというのはじつに奇妙なことではないでしょうか。17世紀にスピノザとボシュエが語っていたことは、所与の条件などではないように思われます。
スピノザは「われわれの身体の能動と受動の秩序は、本性上、われわれの精神の能動と受動の秩序と同時である」、と言っています。本性上、身体と精神は相互依存しないのです。蛇足ながら、これは心身平行論と呼べるものであることは間違いないですが、心身平行論と称したのはむしろライプニッツのようです。ですが、まあ、それはどうでもいいでしょう。
一方、ボシュエのほうは、『死についての説教』のなかで、「死体はいかなる言語のなかにも名前を持たない」と言っています。小野小町九相図などの日本の古い絵巻物にもあるように(たしかにそれぞれの死体の状態には、中国や日本では、名前がついているとも言えますが、すべての状態を示す言葉は「死体」以外にありません)、死体もまた刻々と変化し、腐って、骨となり、最後には塵になるからです。元の身体はどこに行ってしまったのでしょうか。われわれはほぼそこから一歩も抜け出せないままですし、そこにあって、スピノザとボシュからあらためて一歩を踏み出さねばならないままであることはご承知のとおりです。
スピノザの面白いところは、この心身平行論から、「身体は身体にしか関わらない」ということが帰結されルところです。つまり身体と精神は存在論的には同等であるということです。これは中世スコラ学の神学者、ドゥンス・スコトゥスによる「存在の一義性」の考え方の発展形であると考えることもできますし、先ほどの江川氏によるなら、アルトーの「器官なき身体」もこのラインにあるものだと考えることができます。そして誤解のないように改めて急いで付け加えておくと、いくら身体のあるところには精神が発生するといっても、「身体から抜け出す身体」は、「精神」とは似ても似つかぬものであることは言うまでもありません。
少しだけついでに、若い室伏さんに、そしてその後もずっと彼に影響を与え続けたアルトーのことに触れておきたいと思います。
アントナン・アルトーは、どこで、どのようにして、どこから「身体」を発見することになったのでしょうか。彼の生涯の記録や証言を繙けば、いろいろと思いつくことがあります。
彼の「病」、思考の不能性、分裂症、パラノイア、麻薬、エスニックな旅を含めた外への旅……。しかしアルトーの血の滲むような「発見」へといたる経験、あの「場所と公式」の問いは、アルトーのいわゆる精神病の「病跡」を軽々と超えてしまっていると私は考えています。
結論を先に言うと、精神病者、分裂病者として精神病の「病跡」を超えるには、アルトーの「身体」はアルトーの身体から外に出てゆかねばならなかったのです。極東の地で土方巽のような人物の心を動かすことができたのはまさにここです。アルトーは自分の「存在」と「言語」にまるで拷問を加えるようにして書きました。晩年の彼の手記『カイエ』を読むとそのことに特に注目せざるを得ません。言語はハンマーで殴られ、叩きのめされ、分断され、切断され、解体され、別のからだのなかに分娩され、砕け散り、断絶し、彼独自の身体の叫びと化しました……。
だがそれはただちに別の意味を帯びます。アルトーにとってこの「書く」ということが「生きる」ということとほぼ同義であったことには大いに注意を払うべきでしょうが、それが彼の「病跡」を超えてしまっているだけではなく、このことは優れた幾人かの詩人や作家においてすでに見られたことであると言っていいと思われます。しかしアルトーが特異であるのは、言語と生、形式と内容の一致が、ある種の身体のテクノロジーのようなもの、ある種の「公式」によって鍛えられ、それを原理としていたように思われるところなのです。この「公式」にはアルトー自身の長い苦難の歴史が関わっています。
再び誤解のないように急いで付け加えておきますが、このことは芸術や文学の形式や形式化とは何の関係もありません。そしてそのことがどうして舞踏家たちの琴線に触れないわけがあるでしょうか。優れた舞踏家はダンスの「技法」ではなく、どうしても不可能な「身体のテクノロジー」のようなものを意識せざるを得ないからです。
アルトーのこの「公式」は、同時に、つまりアルトーのあらゆる「分裂」と同時に、彼の役者・演劇理論家としての経験、彼の「演劇」についての観念のなかにすでにあったのではないかと私は考えています。彼の生涯の中期において、つまり演劇理論書『演劇とその分身』や歴史小説『ヘリオガバルス あるいは戴冠せるアナーキスト』のなかにそれを見て取ることができます。おまけに何とこれらの特異な本はそれ自体が戯曲のようなものなのです。
アルトーには、外で起きている動乱、混乱、革命の秩序(アルトーは面白いことに「革命の秩序」と言っています)、天変地異などなどは、同時に役者の身体のなかでも起きなければならないという確信と信念がありました。アルトーには精神病院への監禁の凄まじい日々があったのですが、そこにいたアルトーの身体の内部で起きていたことと、ヨーロッパにおける第二次世界大戦の推移が同時に起きていたことは、まさしくこのことを証明してあまりあります。
そして例えば、『ヘリオガバルス』というローマの少年皇帝についての本のなかで描き切ったように、すでにローマ帝国の歴史の破綻は演劇の破綻であり、身体とともにあるほかはない演劇の破綻は、身体の横断であるほかはない歴史の破綻であって、それ自体が、アルトーが考え、提唱し、熱望した演劇であり、彼の言う「残酷の演劇」であることに留意しなければならないのです。アルトーの演劇の最初のイメージがペストやルネッサンスの終末的絵画のなかにあったこと、アルトーの演劇が「失敗」だったと伝えられていることは、偶然ではありません。
アルトーの芝居を見た者は、日本では寺山修司を含めて誰もいません。だからこそ、ある意味で、室伏鴻を含めた暗黒舞踏あるいは舞踏は、このアルトーの「失敗」から出発したのだと言うことができるでしょう。舞踏家たちは「演出」ではなく、「演出がほぼ不可能となる地点」において「身体のテクノロジー」に対峙せざるを得ないからです。
ところで、室伏鴻の言う「外の身体」とはなんなのでしょうか。結論から言えば、外の身体とは、瞬時に現れる身体の身体、身体から抜け出した身体であると私は考えています。それが彼の言う、「ダンスの外に、踊りの外に出る」ということなのです。そして先ほどの重篤な状態に陥った私の母の身体ではないですが、少なくともこの身体から抜け出そうとしていた身体は、明らかに生きていると同時に、しかしながら死を内包し、死を体現するものなのです。
そして室伏鴻が語り、踊ったミイラは、これに新しい次元を付け加えていると思います。室伏さんは子供の頃、死んだふりをするのが得意だったそうですが、無論、このこともミイラや彼の修験道と無関係ではないと思います。室伏さんとは別に、かく言う私も体験したことがあるのですが、修験道もまた一度死んで蘇るあくまでも身体的体験だからです。
室伏鴻のダンスは、動かない舞踏です。激しく踊っている時、優雅に踊っている時でさえ、そうです。なぜなら動いている身体は別の無数の身体からなっていて、これもまた身体から抜け出してしまった身体であるからです。これが死体に近いものなのかどうかここで即断することはできませんが、彼がいつも死の方向に、即身仏のミイラを含めた死体の方向に、自分の身体を意識していたことは間違いないでしょう。そしてそれが室伏さんの身体の思考に独特の哲学的次元を与えていたのかもしれません。
彼の舞踏の身体は石になったり、岩になったり、金属になったりします。死体になったり、そう言ってよければ、ミイラ、時間の外にあるミイラになったりもするのでしょう。矛盾しているようですが、なぜか生きている死のブロンズ像を思わせた時もありました。そしてこれは彼の身体が非人間的な動物になったり、赤子になったり、トカゲになったりするのとまったく同じことなのです。
私の言いたい「身体から抜け出す身体」という考えもまた、もともとは直接土方巽から来ています。『病める舞姫』のなかで土方はこう言っています。「もう一つのからだが、いきなり殴り書きのように、私のからだを出ていこうとしている」。
なぜ殴り書きなのか? なぜなら出て行く身体は、あるときは痙攣であり、あるときは震えであり、もとの身体にダブったり、ずれたり、再びはぐれたり、あるいは突然死んだりするからです。それは、最高の形においては、優れた能の演者のかすかな動きと同じように、室伏の言葉を借りれば、「大挙して押し寄せる幻影」からふるい落とされた動きであり、その動きを排そうとする一種の動きつつある不動性なのです。
「身体から抜け出す身体」というテーマは、すでに私自身の身体のなかにも巣食っています。すでにこのテーマで書いたことがありますし、このテーマが私から消えることはないでしょう。これは何と言っても、かつて最初に土方巽や室伏鴻の踊りが私にそっと無言で伝えてくれたことなのです。これは秘密の言説に属するものかもしれませんが、じつは私自身、私自身にとって他者であるほかはない自分の身体をどうにかしたいと思っているからなのです。
山形にて
1954年、神戸生まれ。フランス文学者、作家、評論家、翻訳家、音楽家。甲陽学院高等学校卒業後、フランスに留学。帰国後ニューウェーブバンドEP4のオリジナルキーボード奏者として活動。著書に『アントナン・アルトーの帰還』(河出書房新社、のち現代思潮新社)、『中島らも烈伝』(河出書房新社)、『魔法使いの弟子 批評的エッセイ』(現代思潮新社)、『ひとりっきりの戦争機械』(青土社)、『サブ・ローザ 書物不良談義』(現代思潮新社)、翻訳に、エドモン・ジャベス『歓待の書』(現代思潮新社)アントナン・アルトー『神の裁きと訣別するため』(宇野邦一共訳)(河出文庫)、ジャン・ジュネ『花のノートルダム』(河出文庫)、アルチュール・ランボー『ランボー全詩集』(河出文庫)ベルナール・ラマルシュ=ヴァデル『すべては壊れる』(松本潤一郎共訳、現代思潮新社)『分身論』(作品社)等がある。