28 Oct.2016

虚体、死体、そして外へ

鴻英良

虚体、死体、そして外へということで、室伏鴻論を何ヶ月か前に構想し始めました。虚体、死体、外へという三つの概念の出典は、ご存知の人も多いかもしれませんけど、虚体は埴谷雄高の『死霊』の中の概念で、死体はいうまでもなく、土方巽の「命がけで突っ立った死体」という言葉から来ているわけです。「外へも室伏鴻がこの数年間やろうとしてきたプロジェクト、これは「外の千夜一夜」というタイトルが付いていて、そういう意味では、この二つ、三つがどういう風に関連を持っているのかということが舞踏の系譜学というものを考えるときに重要な意味を持つのではないかと思いついたわけですが、虚体は、埴谷雄高の『死霊』の中の基本概念なので、これは小説の中で問題になり、しかも戦後、この言葉はいろんな意味で使われていたんですね。文学青年たち、あるいは文藝評論家も含めてこの『虚体』という言葉に魅せられていた。だからこれはどちらかというと戦後文学のかなり重要な基礎概念なんですけど、なぜこの言葉をこの話全体の中に入れようと思いついたかというと、大野一雄のダンスを虚体という言葉で表すといいのではないか、ということをある時、というか川口隆夫さんの『大野一雄について』というダンスを見た時に、川口隆夫の身体は虚体ではないと思ったんですよね。で、大野一雄の方は虚体なのではないのかということで、『虚体』と『死体』というのと、それとは別個の『外へ』という、この三つがどう関連するのかということを調べ始めたわけです。

『虚体』という言葉はどう訳したらいいのか、ということは非常に難しいんですけれども、要するに虚数(imaginary number)の虚ですから、イマジナリー・ボディ(imaginary body)という訳が一般的に出ているかもしれないけれど、ちょっと違うなと私は思っているんですね。イマジナリー・ボディ(imaginary body)というよりはノン・サブステンシャル・ボディ(non-substantial body)と訳した方がいいのではないか、実体がない身体というかね。というよりも、サブステンシャルではないということは、ノングラヴィティですね。重力がない、という風な形で考えるのがいい。つまり重力がある世界で鳥たちが飛び立つ、舞い上がる。鳥は重力のある地球上で羽ばたくわけですよね。これは要するに普通のダンスには重力はあるんですよね。で、旋回し、飛翔する。重力に逆らって旋回し、飛翔するというところに、そしてより高く飛翔するというところにダンスの魅力があるんじゃないかと私は思っていたんですね。ところが、大野一雄の舞踏というのは、重力に逆らって飛翔しているわけではないんですよね。重力がない。重力がないところで人間はどういう風に、動けるのか、というようなそういうコンセプト、それが虚体の概念ですね。実体とか重力の不在、そういうような概念を大野一雄はどこまで意識していたかわからないけれど、埴谷雄高にある時魅せられて、会ったかどうか分からないけれど、私は会ったと聞いたんですけど、それは要するに当然自分の舞踏と埴谷雄高の虚体という概念が繋がっていたと考えていた節があるんですね。

それに合わせて、つい最近知ったんですけれども、室伏鴻は大野一雄のダンスをあまり評価していなかった、という風なことを聞いたんですけれども、それも非常に興味深い発言だと思うんですね。それで、死体に関してはデッド・ボディ(dead body)でもいいかもしれないんですけれども、死体に関しては要するに重力があるんですね。やはり、これは虚体ではないんですね。ノン・サブステンシャルじゃない。命がけで立つ死体というのは重力のある世界の中で存在する。要するに大地と繋がりがあるということも含めて、重力というものを考えなくてはならない、と言うようなことを考えつつですね、ならば埴谷雄高は『死霊』という作品を中心に、どんなことを言ったのか。
僕の最初の発想では、埴谷雄高が『死霊』を戦後すぐに『近代文学』と言う同人誌を創刊して、そこに連載を始めるんですね。埴谷雄高がその連載の中心概念に虚体という言葉をなぜ使ったのかということをまず私は想像したんですよね。それは戦後の空洞ですよね。それは戦争をずっと遂行してきて、いろんなところで人を殺してきた日本の軍隊が完全な敗北を喫す。そこに歴史の空洞ができたに違いない。その歴史の空洞の中で埴谷雄高は日本文化論として『死霊』というものを書いたのではないか。これが私が最初に想像していたことがらで、そして戦後出発した舞踏のダンサーたちも、そういう状況の中に置かれていたんではないだろうか。いわゆる戦後の空洞というものが存在していて、これは多くの人が感じていたことだと思うけれども、それに対する身体のあり方として、一つは虚体、もう一つが死体というものであったのではないかと思ったんですね。そこから、いろいろな舞踏というものが出現してきたとしても、それを外へと言い換えた室伏鴻の発想の根源は何だったのかということを考えていったんですよ。

もちろん、外の思考、ミシェル・フーコーの文章に大きく触発されていることは明らかなんですけれども、問題はどうもそうじゃない、ということにちょっと気づき始めたんです。室伏鴻のダンス、舞踏というのは外へということで、比較的最近見た彼の舞踏で私が非常に惹きつけられたのは、ダンス白州で行われた、タイトルがあるのかないのかは知りませんけれど、野外の穴の中で、あれって焼却用の穴で結構大きいんですけれどもね、地面が深く、四角く掘られていてその中に飛び込んで、要するにどうやって這い上がるかということを延々やっているわけですよね。やっと上がったと思ったらまた落っこちちゃうということをやっている彼の身体を見ていて、そして、なんとなく、立ち話をする機会があって、一応僕は舞踏評論家じゃないんだけれど演劇批評をやっているから、ああいう場合何か言わなくちゃいけないんだよね。そして、「あなたのダンスはエイリアンのダンスですねと言ったんですね。エイリアンのダンスというのは、これ結構早い時期に私言っているんですけれども、エイリアンというのは外の身体ということですよね。それで外の身体というのは要するに自分の身体というのがあった時に、外の身体というのがどこにあるのかということも含めてですね、これは結構複雑な概念なんですよ。そして今回、埴谷雄高の『死霊』を読んでいたら、埴谷雄高の虚体というのは外の身体なんですよね。で、我々は日常生活の中で、例えばハエが飛んできてどっかに止まって何らかの動きをするのをじいっと見てるじゃないですか。叩き潰してもいいし、ほったらかしにしていてもいいんだけれども、そしてハエの挙動というのを細かく見ていると結構面白いので、しばらく見入ってしまうというシーンが『死霊』の中にあるんですね。

このハエの挙動を見ているその『死霊』の登場人物は、その動作を見ながらその間に何を考えているのかというと同時に自分たち人間の挙動を見ている何かがあるのかもしれない、一般的にキリスト教社会では神の眼差しですよね。そして、それが神だとしたら人間の外の存在なんですよね。それは人間にはどうにもならない、そういう外の世界がある。そういう外の世界とハエを見ている自分たちの認識と分析の世界、そういうようなものがどういう形で反転するのか、その反転というようなものが、どのようにして可能なのかということを構想するというのが、虚体という概念なんですね。埴谷雄高の虚体というものをむしろ直接的に表しているのは、直接的に身体を関係付けたのは室伏鴻の方ではないのかということを今思い始めたんですね。
で、『死霊』のなかの有名な言葉に「自同律の不快」というのがありますけれども、これはなんて訳していいのかわからないのですけれども、displeasure of the law of identification、アイデンティフィケイションの法則の不快、samelessの法則に対する不快感、displeasure。アイデンティフィケイションの法則というのはI am Iですね、私は私である。A is A。これは『死霊』にも出てくる。俺は俺であるというね。そういう風な形で統合されるその存在に対する背理、Sinnwidrigkait(ズィンヴィードリッヒカイト、不合理なこと)、その背理としての外。そしてこれは俺ではない、俺は俺であるに対して、俺は俺ではない。I am alien to me. 私に対して私は異質である、外であるというね、私は私ではない。このエイリアン、extraneous、要するにエイリアンの身体へ、to the body of alien、外へ、というね、このことを要するに埴谷雄高を意識していたかどうは別として、埴谷雄高の思想の根幹にある何かと室伏鴻の外へという、「外の千夜一夜」という考え方が、実はかなり関連があるんですね。そして、俺は俺ではない、というね。俺はどうやら俺ではないという考え方のもとに引き裂かれる形でもって、虚空が現れるんですね。それが虚体というものの概念を生み出していく、というようなことを言ったのが埴谷雄高なんですよ。そういう意味でいうと虚体と外の思考がつながる時のつながり方とは何かということが問題なんですね。

Profile

鴻英良

1948年、静岡県生まれ。東京工業大学理工学部卒、東京大学文学部大学院修士課程修了。現在、演劇批評家。著書に、『二十世紀劇場──歴史としての芸術と世界』(朝日新聞社、1998年)、訳書に、アンドレイ・タルコフスキー『映像のポエジア──刻印された時間』(キネマ旬報社、1988年)、タウデシュ・カントール『芸術家よ、くたばれ!』(作品社、1990年)など。

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