江澤健一郎
初めて今日このShyで、室伏鴻さんのイベントでお話しさせていただくんですけど、私は室伏さんのことを生前に拝見したことが一度もなくて、Shyにそれまで通ったこともなくて、今年初めて伺いました。堀千晶さんからお誘いいただいて今日こうしてお話しすることになったんですが、それまでほとんどご縁がなかったのでどうしようかと思っていました。ですが、以前なんとなく室伏鴻アーカイブのホームページを見ているときに、室伏さんの蔵書のリストを検索して、バタイユという名前を入れたところ、バタイユの翻訳書が幾つかでてきて、なかに僕が最初に出したバタイユについての本が入っていまして、ちょっと驚いたことがあったんです。生前にお目にかかることはなかったんですけど、私が関わる本をお読み頂いていたということで、浅からぬ縁を感じまして、今日こうしてShyでお話しさせて頂くことになりました。
僕は、もう長いことダンスをほとんど外で見ることがなくなっていまして、あまり舞踏に関しても詳しくないんです。僕の舞踏との出会いということでちょっと個人的なお話をさせて頂くと、私が初めて舞踏を見たのは10代の後半で、スタジオ200というところでアスベスト館の「東北歌舞伎計画」というのを見たのが初めてなんです。今でも覚えているんですが、受付で切符を買おうとしたら通路の先になにか異様な老婆のようなものが座っていて、怖くて一度帰ってしまったという経験をしたんです。その後その人がいなくなったので、安心して受付に行ってチケットを買ったんです。後で知ったんですが、それが土方巽さんだったんですね。
それが初めての舞踏体験で、自分が見たものがなんなのか、初めて見たときによくわからなくて、なんと形容したらいいのかわからなかったんですけど、なんか人間なのに動物みたいで不思議なものを見てしまったと。ずっと舞踏について自分がなにを語ったらいいのかよくわからなくて、いまだにわからないんですが、そういう経験が舞踏との出会いです。でも、それからしばらくは舞踏を見に行っていましたが、その後は長いこと舞踏を見ることがなくなりました。ほとんど舞踏についてお話しするようなことは、僕にはできないと思います。それで今日は、ジョルジュ・バタイユ(1897-1962)についてお話をしようと思っています。室伏鴻さんの『室伏鴻集成』(河出書房新社、2018年)を拝読しまして、本のなかにバタイユの名前が何ヶ所か出てきますので、今日はその点を中心にお話ししたいと思います。
バタイユは、日本でずいぶんと翻訳されている作家で、今でもたくさん翻訳書が出ていますが、日本で紹介が始まったのが1957年で、『蠱惑の夜』という若林真先生の翻訳書で最初に紹介されました[*1]。これは『C神父』(1950)の翻訳ですが、それが、生前にバタイユと親交のあった岡本太郎の序文「ジョルジュ・バタイユの思い出」とともに出版されたのが最初だと思います。それから60年代から70年代にかけてものすごい勢いで翻訳されまして、バタイユは、日本でかなり読者を得たフランスの作家になりました。日本でのバタイユの受容の仕方って、不思議なぐらい熱心だったんだと思います。それは、やはり60年代から70年代の時代の雰囲気とバタイユがかなりマッチしたというのがあるんだと思うんですが、その時期に二見書房の『ジョルジュ・バタイユ著作集』や現代思潮社の『無神学大全』の翻訳というものがかなり進行して、そして澁澤龍彦などのスター批評家が翻訳をしたということもあったんだと思うんです。
暗黒舞踏が、土方巽さんが土方巽という名前で活動を始めたのが50年代の後半で、日本でバタイユの紹介が始まったのと大体同じぐらいの時期だと思います。それから、やっぱりバタイユが度々言及する「供犠」、「サクリファイス(sacrifice)」というテーマとか、「エロティシズム」と「死」ですね、そういう主題が、文学好きだけでなくて演劇人やダンスの人たちにも受け入れられていって、そういうなかで、おそらく日本でダンスをしている人たちの間でも、かなりバタイユの読者が増えていったのではないかと思うんです。おそらく室伏さんも、そういう流れのなかで、バタイユに接して読んでいくというご経験をなさったのかな、と思います。
室伏さんがなぜ、バタイユという作家を読んでいって、どういう点に注目したのかということを、『室伏鴻集成』を読みながら考えたのですが、読んでいて室伏さん自身の文章のなかに、バタイユのテクストによく出てくる言葉が繰り返し表れてくるというのが印象に残りました。「生」と「死」、「生きること」と「死ぬこと」、あるいは「知」と「非—知」ですね。バタイユは「非—知」という用語、概念を用いますけど、室伏さんも、「バタイユが」という限定を外してそういう言葉を度々用いています。あるいは「内」と「外」、そういう言葉が頻繁にあらわれてきます。室伏さんは、例えばバタイユの名を挙げて、「多分すべてはバタイユの如く連続性と非連続性によって語り得るのではないか」[*2]と記しています。バタイユが、とりわけ後期に用いている「非連続性」と「連続性」という言葉を用いながら、室伏さんはここですごく簡潔な言及をしているのですが、この「非連続性」、─バタイユについては、どうしてもバタイユに特有な一種の隠語を、バタイユが用いているように繰り返し僕も用いることになってしまうのですが─というのは、バタイユが用いる、内部に閉じこもった「私」とかそういった個体の性質です。「連続性」というのは、その閉ざされた私の内部性というものが「外」と連続していくような運動、そういうものを指していると思います。バタイユは、その運動を例えば「コミュニケーション(communication)」と呼びます。コミュニケーションは、最近のバタイユの翻訳では「交流」と訳されますが、初期の翻訳では「交感」、交わって感じるという語が使われていました。
室伏さんは、踊りを実践しながら、踊りについて考えながら、バタイユのこの二つの用語を取り上げながら、「内」から「外」への移動ですね、バタイユの言葉をまた借りるならば、バタイユは自分の「外」へ、自分を失って「脱自」をする体験というものについて語りますけれども─「脱自」、あるいは「恍惚」、これは同じ用語、フランス語ではextaseという用語です─、そういうものを考えていたのではないかと思います。あるいは、室伏さんは踊りにおける身体、その変形ということをこの『集成』のなかで語りながら、そこからこれもバタイユのテーマと重なってくると思うんですけど、私という存在から「非─私」、私でないものへの移行、そういうことを踊りについて考えながら語っていて、そこでちょうどバタイユのことを想起しています。
そこで彼が引用しているのが、『有罪者』(1944)という本の一節です。これは引用です。ちょっとそれを読んでみます。「沈想の方法は・・・・・・」、「沈想」という用語ですが、室伏さんは出口裕弘さんの翻訳から引用しているんですが、出口先生の訳では「沈思」になっています。
4 「沈想の方法は(踊りの方法は、と言おう)供犠の技法に似ている。恍惚の〈点〉は、私を私自身の中に閉じ込めている個別性を私が内部から破砕する時、その裸の姿をあらわす。同様にして、祭司が犠牲獣を殺し、これを破壊する瞬間に、〈聖なるもの〉がその獣にとってかわるのである。」(G・バタイユ)[*3]
室伏さんがここで引用している『有罪者』という本は、これは私も去年翻訳した本なんです。「ディアヌス」という人物の手記という形をとっていますが、バタイユの名義で1944年、第二次世界大戦中に出版された本です。後にこれは、バタイユの主著のシリーズ、『無神学大全』と呼ばれる連作の一冊になります。
本の内容は、バタイユの「体験」─彼が「体験」と呼ぶものですね─、これを記述して体験について考えている本です。その「体験」がどういう体験かというと、『有罪者』のなかでは「神秘体験」というふうに呼ばれています。バタイユ自身が、自分の「神秘体験」についてこの本で語るということです。バタイユが「神秘体験」という名称を用いているんですけど、しかし彼の「神秘体験」の特異な点は、そこには信仰が存在しない、そういう体験なんですね。むしろ通常の信仰があれば、それは信仰のある神秘体験になるんですが、信仰の対象がむしろ「不在」になる、そういう「不在」を前にして、それでも生じるような恍惚の、あるいは脱自の体験、それがバタイユの体験です。室伏さんが引用している文章で「沈想の方法」と呼ばれているのは、そのような神秘体験に至るための瞑想の方法であると思います。フランス語だと「メディタシオン(méditation)」ですね。
バタイユは、この瞑想法を「供儀の技法」になぞらえていますが、室伏さんはそれを「踊りの技法」になぞらえていきます。このバタイユの瞑想法のモデルになっているのは、たとえばキリスト教の瞑想の方法としては、スペインのイグナチオ・デ・ロヨラ(1491-1556)が『霊操』という本のなかで描写した方法です。バタイユは、『内的体験』(1943)という本では、それを「演劇化」の方法というふうに呼んでいます。
ロヨラは、『霊操』という本のなかで神秘体験の方法、どうやって信仰に篤い者が神秘体験に至るのかという方法論について語っています。例えば信者が、キリストが十字架に磔刑になる場面を思い浮かべて、自分がそこにいるように想像して、想像的に劇の上演を行って瞑想を行う。
バタイユは、もうキリスト教の信仰を当時放棄していますので、このロヨラが語っているような想像的な演劇化の方法を、宗教的ではない対象を前にして行います。例えばよく知られてますが、バタイユが瞑想に用いていた写真としては、中国の処刑の写真というものがあります。陵遅刑といわれる百刻みの刑の写真ですが、それをキリストの磔刑図の代わりにして、死を迎えつつある普通の人の写真というものを前にして、瞑想を行っています。その写真はとても残酷な写真で、私はいつも見ていると耐えがたいんですが、『エロスの涙』(1961)というバタイユの最後の本に掲載されています。[*4]私は、最初に申し上げたように室伏さんのダンスを拝見したことがないんですが、公演のリストを見ていたら、公演のひとつに『エロスの涙』というタイトルの公演があるようです。
バタイユがその神秘的な体験について語っているのは、『有罪者』だけではなくて、例えば『内的体験』という本のなかでもそれについて考察しています。その『内的体験』や『有罪者』のなかで、やはりその処刑の写真を前にした体験というものを繰り返し記述しています。
彼は、そのような瞑想の対象について、先ほどの引用文ですと、むしろ対象というよりも「恍惚の〈点〉」─フランス語だとpointです─という言葉を使っています。その「点」となる対象を前にして、決してそれは残酷な場面を見て喜ぶとか、そういう嗜虐的な行為ではなくて、むしろその対象に彼は自己投影をして、想像的に犠牲というものを上演していきます。バタイユの言葉を引用するなら、その「体験における対象は、まずは演劇的な自己喪失の投影である」[*5]。そのことによって、目の前に現れてくる対象の死というものを自分の死として模擬的に体験して、対象が失われていく対象の喪失を前にして、自己を失う自己喪失を体験していきます。
そういうことを彼は瞑想の方法として行っていました。そして瞑想を行っていくと、そのときに、先ほどの引用文にあったように「恍惚の〈点〉」というものがむきだしの姿をあらわにして、瞑想をしているバタイユは私という自己の殻から外に、恍惚のなかへ投げ込まれて、内と外が交流する体験をすると、簡単にいうと彼の体験はそういう体験として語られていきます。
室伏さんは、バタイユがこうして「神秘体験」として語る「私の死」の体験というものを、「非—知」じゃなくて「非—私」ですね、「非—私」の生成として語っていて、外の体験を舞踏の体験として語り直しています。『集成』からの引用文を読みます。
5 その度毎の変形において、
私とは、死につつあるもののことだ。そして、破壊されるかたちと破壊する力の双方を同時に生きつつあるもののことだ。
しかし、私に死の引導を渡す力こそが、私を非─私の生成へとつなぐ力でもある。6 だから踊りは、それ自身の震動のなかで、生へも死へも結ばれた力の両義性を生きる。変形しつつある身体の痛みを、その変形をもたらす「なにものか」と共有する境界の体験なのだ。
(・・・・・・)8 エクスターズ(江澤「これはバタイユがよく用いる用語ですね、キーワードとして。〈恍惚〉〈脱自〉という両方の訳語が可能です」)の、その境界面で、私たちは変形しながら、変形するその成形を見ていなければならない。あらゆる場所が非・場所へ、あらゆる時が非・時へと変形しつつあるその〈聖なる〉移りゆきそのものとなること。[*6]
バタイユは神秘体験、信仰のない体験ですけれど、いわゆるキリスト教とか個別的な神でない、神の体験でない神秘体験を、「聖なるもの」の体験というふうに呼んでいます。
続けます。
その現れと消失の、ひとつの「仮どめ」のように踊ること。それが、一つのステージ=設定であるだろう。[*7]
ここで室伏さんは踊りを、「変形しつつある身体の痛み」、痛み、つまりバタイユが「刑苦」(バタイユは刑苦という言葉を使いますが、フランス語だとsuppliceですね、刑罰を受ける苦しみが刑苦です)と呼んでいる体験を、もう一度先ほどの文章から引用しますが、「その変形をもたらす〈なにものか〉と共有する境界の体験」として語っています。室伏さんがここで「なにものか」、なにか特定のものと名指さないで「なにものか」と呼んでいるものは、どのようなものかと想像しますと、おそらく先程の『有罪者』からの引用文で、バタイユが「聖なるもの」と呼ぶようなものではないかと思います。
バタイユが強調するように、「聖なるもの」、室伏さんがそれを「なにものか」と呼んでいるとして、「聖なるもの」というのはバタイユの用語としては個別的な「実体」ではないですね。それはむしろ供儀において現れるものです。さっき供儀の技法というものが語られていましたが、供儀において死んでいく犠牲獣として現れる「実体の不在」、「対象の不在」、バタイユはそれをときには「未知なるもの」というふうに呼んでいます。知っている対象が消失して未知が現れる。あるいはバタイユは別の箇所では「夜」というふうにそれを呼んでいます。「夜」という際限のない非実体の体験が生じるのだと。
その時に、先ほど室伏さんが使っていた非連続という言葉を使うなら、非連続であった私は、現れる未知を前にして、自己の知を喪失して非—知となる。そういう体験をする。私の非連続性を失って非─私へと生成することで、その現れた聖なる未知、つまり聖なる非─私(未知)と私、非─私となった私は、連続的に交流することになります。
室伏さんが語る踊りは、そのような越境の「〈聖なる〉移りゆき」─これは室伏さんの使っている言葉です─あるいは「仮止め」の移行、生成となる。バタイユと照らし合わせていくと、室伏さんはそのようなことを、ここで語ろうとしているのではないかと思います。おそらくそのような移りゆきを念頭におきながら、一番最初に引用しました言葉、日記のなかで、「多分すべてはバタイユの如く連続性と非連続性によって語りうるのではないか」と記していたのではないかと思います。
もう一度その用語を取り上げますと、「連続性」「非連続性」という用語は、例えばバタイユの『エロティシズム』(1957)という本や、あるいは生前にほとんど完成していたけれども刊行されなかった本で『宗教の理論』という本がありますが、そういう本のなかで用いられています。[*8]
『宗教の理論』というテクストは、動物的な状態からいかにして人間というものが成立して、そして宗教というものが成立していくかということを理論的に論じた本です。そこで非連続性─この本ではむしろ「超越性」という用語が使われていますが、同義語であるといえます─というものは、例えば人間が労働活動を開始したことによって世界に導入された性質、主体と客体の間にある外部性のことを指しています。
労働活動を開始した人間は、他とは不連続な個人、例えば「私」として、主体と客体の非連続的な関係のなかで構成されていると、バタイユは考えています。例えば私と机は全然連続していないと普段僕は考えていますが、そういう世界認識というものが人間のなかに成立していったと。
それに対して、『宗教の理論』は、動物から人間への移行過程を問題化します─『エロティシズム』もその問題を扱っています。動物性というのは、あるいは自然というものは、連続性の状態にあるというふうにバタイユは語っています。『宗教の理論』のなかでは特に「内在性」という概念を用いていますが、「連続性」という用語も同義語として用いられています。
バタイユは、その人間の営みのなかでも、エロティシズムや宗教、芸術という活動において、人間は見失ってしまった連続性というものを見出すんだと、そういうことを語っています。『エロティシズム』のなかで連続性というものが捉え返されて語られていくんですが、しかしバタイユは、連続性という言葉を一貫して使っていますが、その連続性というものは、エロティシズムにおいて体験される連続性、芸術や宗教において体験される連続性としてバタイユが考えて語っているものは、動物状態、動物性、自然の状態における連続性とは異なるものとして考えなければならないと思います。
バタイユは、そういう風に動物性や自然の状態を連続性として語って、そこから非連続性という人間的な状態が成立するとして、そして再び連続性を語ることによって起源へのノスタルジックな姿勢とか、懐古的な郷愁の回帰の運動とか、そういうものを語っているように思えますし、そういうふうに捉えられがちです。しかしむしろ、バタイユがそこで連続性として語るものは、野性状態というものではないと思うんですね。
例えば、先史時代の芸術についてバタイユは『ラスコーあるいは芸術の誕生』(1955)という本を書いていますし[*9]、あるいは『エロティシズム』(1957)という本のなかでもその問題を再び論じています。そこで彼は、労働する人間の成立、つまり非連続性と彼が呼ぶものの成立と、人間における自然の暴力性に対する「禁止」の成立、つまり人間は自然の暴力性を禁止して動物的なものとか自然性を遠ざけていくという、そういう禁止の成立を語っていきます。
それに対して彼は、芸術や宗教、エロティシズム、そういった人間の営みが成立する段階に、その禁止、自然を遠ざける禁止というものに対する「違反」「侵犯」─これはバタイユの有名な用語ですが─というものを見出していきます。
この「侵犯」によって、遠ざけられた自然の連続性が再び見出される、連続性の体験がもたらされる、そういう風に設定されているんですが、しかし、侵犯、違反というものは、元の自然への回帰というものを意味していません。これは大事な点だと思うんですが、『エロティシズム』でバタイユは、次のように語っています。「しかし侵犯は、〈自然への回帰〉とは異なる。つまり侵犯は、禁止を消滅させることなく解除するのである」[*10]。その時に見出されるのは、ですから自然とか動物性そのものではなくて、例えばその時に見出されるのは、宗教的な「聖なるもの」です。それは自然状態にはないものなんです。宗教的な聖なるものは連続性の体験をもたらしますが、それは自然状態ではない連続性です。それが、侵犯において生成します。
人間は、禁止というものによって保持されている人間性、非連続性の状態にとどまることができずに、侵犯、違反の運動を行うことによって、禁じられた自然、動物性の状態になっていく、生成していく。しかし、禁止というものが消滅する事はないので、人間は動物性に「なっていく」、自然に「なっていく」という運動をしていても、動物性そのもの「である」とか、自然そのもの「である」と言う事はできない。つまり、そこで「侵犯」という風にバタイユが語っている出来事のなかで成立しているのは、動物そのもの「である」のではなくて、むしろ動物に「なっていく」という、「なる」という、新しい出来事なんだと思います。
これは、だから人間から動物になるっていう運動ですが、その侵犯において動物性は所与のまま、最初の元の動物性として、自然としてそのまま見出されるのではなくて、自然とか動物性と呼ばれているものそのものも、人間が動物になっていくという侵犯の運動のなかで、逆に人間になるという変化に巻き込まれて生成変化していきます。つまり、そのままの自然ではなくて、バタイユが「聖なる」と呼ぶもの、自然状態ではない連続性になっていくのです。バタイユが侵犯という形で語っているのは、だから人間から連続性へ回帰していくというだけの運動ではなくて、人間が連続性を見出す、動物的なものになるという運動と、動物性と自然そのものが、そのままではなく「聖なる」ものへとなっていくという、この二重の運動なのではないかと僕は思っています。[*11]
今、「動物である」ではなくて「動物になる」と言ったのは、ジル・ドゥルーズとフェリックス・ガタリが『千のプラトー──資本主義と分裂症』(1980)という本の「10 1730年──強度になること、動物になること、知覚しえぬものになること・・・」で、芸術における「生成変化」について語っていることを念頭においてお話ししました。ドゥルーズとガタリは、カウンター・テナーあるいはカストラートの歌唱とか、あるいは鳥の絵というものについて語りながら、芸術における生成変化、フランス語だとdevenirについて論じています。
カストラートは、去勢した成人男性が子どものような声で歌うことですが、それは子供の歌そのものではないですよね。そこがカストラートの歌の素晴らしいところで、カストラートの歌唱において声が子供に生成変化していく。けれども、それは単にカストラートが子供になるという運動であるだけではなくて、子供もまた、カストラートの歌は子供の歌そのものではないので、子供もまたその声になっていくという生成変化とともに成立していきます。あるいは鳥を描く画家が鳥へと生成変化をするなら、鳥もまた単なる鳥ではなくて、鳥の絵という純粋な線と色彩に生成変化していきます。そこで語られているのは、その本のなかで使われている用語ですが、「二重の脱領土化」、生成変化の運動です。そこでバタイユの先史芸術論である『ラスコーあるいは芸術の誕生』を思い出したいのですが、彼がそこで論じていた先史時代の洞窟絵画、例えばラスコーにおいて描かれているのは、ほとんどは動物の絵です。あとは抽象的な記号等です。ラスコーの洞窟壁画で人間の絵というのが確認されているのは、おそらく一点だと思います。頭が鳥の姿をしていて非常に抽象的な体をしていて指が四本という、そういう図像ですね。先史時代の絵画ではおもに動物の絵が描かれていて、それは先史時代に動物が神聖な存在であったこと示しているという風に言われています。それに対して人間の絵というのは非常に少ないですし、人間の自然主義的な描写というものはほとんど見られないですね。だいたい動物化しているか、ものすごく抽象化しているかです。人間は自分の姿を自己否定して動物化して、あるいは極端に自分の姿を否定するように抽象化して描いていたと考えられています。つまり、これはバタイユが注目している点ですが、人間は人間であるままでは新しく創造された芸術の世界に─それは宗教的な世界という風に考えられていますが─入ることはできなかった。洞窟のなかで、人間は芸術を生み出して芸術の世界に入りながら、侵犯によって、自分自身が動物になる生成変化を体験しながら、動物のイメージを壁画として描いていって、そして人間が動物化する生成変化のイメージを見出していった、と考えていいんではないかと思います。そしてその時、動物は、洞窟絵画の動物は、動物そのものではないですし、動物をそのまま模写した絵でもないわけですから、動物はもはや所与の動物ではなく、洞窟の暗闇から現れて、線と色彩で形成された洞窟絵画のイメージへと生成変化していく。バタイユはそれを「聖なるもの」と呼ぶと思います。洞窟において誕生した芸術体験とは、そのような二重の生成変化、バタイユの用語を使うならば「コミュニケーション」「交流」と呼ばれるもの、あるいは室伏さんが用いている用語を使うならば、「連続性の体験」というものだと思います。
室伏さんは、その「連続性」と「不連続性」というバタイユの用語に強い関心を示していたと思うのですが、しかし室伏さんの本を読んでいても、動物になるという事を室伏さんは語っていません。おそらく室伏さんの問題としては、「動物になる」というよりは、むしろ「生きながら死体になる」、あるいはその時に「死が生ける死になる」ことが重要だったのではないでしょうか。その主題を形象化しているのが、おそらく「木乃伊」というテーマではないかと、室伏さんの舞踏を見たこともないのに考えました。舞踏は、そのような非─私への移行、生成変化になろうとしていたのではないでしょうか。
最後に、バタイユの話をするにあたって、バタイユはダンスについてなにを語っていたんだろうかと思って、家にあるバタイユの本をいろいろと見ていたんですが、ほとんど出てこないんですね。
バタイユは、祝祭についてよく論じていて、祝祭においては踊りが生じますが、彼は踊りそのものについてはほとんど語っていないと思います。そうして探していたら、戦後にバタイユが監修した『自由スペイン』(1945)という雑誌に掲載されていた「アーネスト・ヘミングウェイの『誰がために鐘は鳴る』について」という論文で、彼はフラメンコについて簡単に語っていました。
バタイユは、国立古文書学校を次席で卒業するんですが、その褒美としてスペイン留学を許可されまして、若い頃にスペインに留学しているんですね。そこで彼は闘牛と出会って、フラメンコと出会って、そしてもう一つ、そのエッセイのなかで印象的な、「カンテ・ホンド」という、スペインで「深い歌」と呼ばれる民謡にすごく惹かれたそうです。そのことを、そのテクストのなかで彼は回想しています。スペインに対してバタイユはすごく執着、愛着を抱いていたようで、このエッセイのなかで、彼はスペインをとにかく「不可能なものへの欲望」─例えば死というのは不可能なものですが─を抱いた国として熱狂的に賞賛しています。それを体現しているのが、例えば「死と戯れる闘牛」というものです。そしてフラメンコという踊りであったようです。バタイユは、自分が闘牛に見いだしたものをこう語っています。「意識は、理解の及ばぬ状況に陥ったことに気づき、可能なものの限界が乗り越えられて、目の前に不可能なものが現れるのである」[*12]。そう彼は語っています。
そしてフラメンコという踊りについては、気に入ったダンサーが一人いたそうなんですが、彼は次のように語っています。
彼女のダンスもまた、私に不安をもたらしていた。その不安は、彼女が舞台に現れる前に始まっていた。スペインでは、名高いダンサーは舞台装置のなかではなく、黒いビロードでできた垂れ布の前で踊る。舞台は、それぞれのダンスが始まる前は空っぽであり、その真っ黒な背景が現れているだけだ。そして一瞬のあいだ時間が宙づりとなり、垂れ布の背後でカスタネットを打つ軽快な音が鳴り響く。その音が告げるのは、まだ見えないが、至高なまでに美しい欲望をそそるダンサーがそこにいて、すそ飾りのあるドレスとショールを厳かにまといながら、いまにも厳粛な儀式を行おうとしていることだ。ダンスは、本質的に不安に満ちた喜びの無言劇であり、われわれの呼吸を宙づりにする挑発を激しく高めていく。そのダンスは、恍惚を、一種の息詰まる死の啓示を、不可能なものに触れる感覚を伝えるのである。[*13]
バタイユが描写したフラメンコの舞台において、まず目の前に現れるのは、人の姿ではなく「真っ黒な背景」で、そこは「空っぽ」であるという風に彼は言っています。そこにカスタネットの音が鳴り響きます。すると、その黒いイメージは単なる無ではなくて、目に見えない不在の踊り子の充溢したイメージ、不在のイメージとなります。そうして現れたその踊り子は、エクスターズ、「恍惚を、一種の息詰まる死の啓示を、不可能なものに触れる感覚を伝える」と、彼は言っています。バタイユがここでダンスについて語っているのは、脱自の恍惚、非─私への移行の体験です。彼は、スペイン文化全体に、そのような「不可能なもの」への猛烈な欲望というものを見出していきます。フラメンコに続いて、彼は「カンテ・ホンド(深い歌)」という歌唱についての回想をします。バタイユは、1922年にグラナダで開かれたフラメンコ歌謡のコンクール会場へ行きました。そこで彼は、ディエゴ・ベルムデスという歌手にとても魅了されたようです。ゴメス・デ・ラ・セルナという人がそのコンクールについて書いた文章を引用しながら[*14]、バタイユはこう書いています。
ギターからいくつかの音色が奏でられた後、壇上に座った彼は歌い始めた(というよりもむしろ、自分の声を一種の叫び声にして投げつけた。それは、神経を逆なでする、引き裂かれたような長い叫び声だ。そしてもう力尽きたと思っていると、その叫び声は、喘ぎ声をさらに引き伸ばしながら想像不可能なものに到達する)。
そして彼らは彼を埋葬した
そして彼らは彼を埋葬した
そして彼らは彼を埋葬した
そして彼らは彼を埋葬した
そして彼らは彼を埋葬した
そして彼らは彼を埋葬した
そして彼らは彼を埋葬した
そして彼らは彼を埋葬させた
彼の失望でできた悲しい小さな墓碑のなかに。この数行は、おそらくそれ自体にはほとんど意味がないが、しかし歌声は、緩やかなうめき声から徐々に鋭くなって錯乱にまで至り、あの可能なものの極限の領域に到達していた。われわれは、激しく嗚咽するときに、ごく稀にだけそのような領域にたどり着くのである。[*15]
バタイユの言ってる言葉をそのまま用いるのなら、叫びとなった声が、「想像不可能なものに到達する」叫びが、「可能なものの極限の領域に到達していた」。彼はそう言っています。
そのカンテ・ホンドの歌唱のコンクールにおいて、その歌手が歌うわけですね。するとその歌手の「私」が、外に響く声になって、叫びになって、反復するリズムになって、空気の振動となって、そしてその振動が私の個人性というものから非─私へと変化していって、バタイユがいう「可能なものの極限の領域」、恍惚の空間、私の外で共鳴していきます。そしてフラメンコにしてもカンテ・ホンドにしても、それを体験する人たちは、非─私の振動となって共同空間である「外」において交流をしていく。バタイユはそう語っているようです。私たちは、「可能なものの極限の領域」、恍惚の空間、私の外で共鳴する。そうして私たちは非—私の振動となり、共同空間である外において交流するのです。
最後に、バタイユのテクストはどうなのかということで、バタイユのテクストをフランス語で朗読してみようと思います。こういう機会でもなければ、このようなことはできないと思ったので。
バタイユのエクリチュールには非常に特異な魅力があって、いつも読みながら、その魅力をなんて形容したらいいのか自分でも未だによくわからないのですが、バタイユは、文章を書きながら、いつも「可能なものの極限の領域」に到達しようとしていたと思います。バタイユは、30年代の後半に秘密結社を結成しまして、「アセファル」という秘密結社なのですが、同時に『アセファル』という雑誌を刊行していました。その最終号(1939年6月)に「〈死を前にした歓喜〉の実践」というテクストが掲載されています。これは秘密結社アセファルのために、瞑想用のテクストとして初めは書かれたテクストのようです。
そのテクストですが、鈴木創士さんの名訳をお読みいただくとして、私は試しにバタイユの文章をフランス語で読んでみようと思います。
呪文のようなテクストだと思うのですが、読んでいくと、テクストが 声になって 音になって 響き渡って 私や皆さんの鼓膜を震わせて 私たちの外で束の間の交流の空間というものができるといいなと思います。
1
私は無化の状態にいたるまで平安に身をゆだねる。
Je m’abandonne à la paix jusqu’à l’anéantissement.戦いの騒音は死のなかに失われる、河が海に、星々の輝きが夜のなかに消え去るように。
せめぎ合いの力はあらゆる行動の沈黙のなかで完遂される。
Les bruits de lutte se perdent dans la mort comme les fleuves dans la mer, comme l’éclat des étoiles dans la nuit.
La puissance du combat s’accomplit dans le silence de toute action.私は、暗い未知なるもののなかに入るように、平安のなかに入る。
私はこの暗い未知なるもののなかに墜ちる。
私は自分自身がこの暗い未知なるものとなる。
J’entre dans la paix comme dans un inconnu obscur.
Je tombe dans cet inconnu obscur.
Je deviens moi-même cet inconnu obscur.2
私は死を前にした歓喜である。[*16]
JE SUIS la joie devant la mort.
〔…〕
1967年生まれ。フランス文学専攻。博士(文学)。立教大学兼任講師。著書、『バタイユ――呪われた思想家』(河出書房新社)、『ジョルジュ・バタイユの《不定形》の美学』(水声社)。共著書、『中平卓馬——来たるべき写真家』(河出書房新社)ほか。訳書、ジョルジュ・バタイユ『有罪者——無神学大全』『ドキュマン』(以上、河出文庫)、『マネ』(月曜社)、『聖なる陰謀——アセファル資料集』(共訳、ちくま学芸文庫)。ジョルジュ・ディディ=ユベルマン『イメージの前で——美術史の目的への問い』(法政大学出版局)。ジル・ドゥルーズ『シネマ2*時間イメージ』(共訳、法政大学出版局)。