シンポジウムへ向けて 2020.3-2021.6
フレデリック・プイヨード
ニジンスキーは自分のことを神だと思った
そして彼は神を殺そうとした
室伏鴻
1889年3月12日から1950年4月8日までの間に、ヴァスラフ・ニジンスキーは21941回の真夜中を通過した。彼の最初の泣き声から最後の呼吸に至るまで、真夜中は時間の連続性に切れ目を入れ、日付を跨ぐごとに彼を揺さぶった。同じ計算式を適用すると、1947年6月14日から2015年6月18日までの間に、室伏鴻は24476回、つまり、ニジンスキーよりも2535回多い真夜中を過ごしたことになる。我々はこの2535回の真夜中から何を学ぶことができるだろうか? 同時に、1947年6月14日(室伏鴻の誕生)と1950年4月8日(ニジンスキーの死)の間に、1028回の真夜中が共有されたことも付記しておくことにしよう。にもかかわらず、室伏鴻が4歳になる前に海外に旅行したか、あるいはニジンスキーがオーストリア、スイス、ロンドンの施設から秘密裡に脱走したと想定しない限り、これらの共有された1028回の真夜中が同時に発生したとはとても言えないだろう。同時に生起したのではない真夜中を共有するとは、いったいどういうことなのか。
もしかしたらニジンスキーと室伏鴻は、実際に2056回の真夜中を共有したのかもしれない。それぞれが自分自身の真夜中と他者の真夜中、日本時間の真夜中とヨーロッパ時間の真夜中として。同じ一日の間に二つの真夜中を通過するにはどうすればよいのか? 一日の間に、真夜中を幾度も生きるにはどうすれば? さらには、一時間、一分、一秒の間に真夜中を幾度も生きるには?
一風変わった数秘術──
1028 = 102 + 8 = 1010 = 1010= 1ゼロ1ゼロ = 0:0 = 00:00 = 12:00 = 24:00 = 真夜中
ニジンスキーと室伏鴻の人生が共有するのは、真夜中の数なのだ。
私が何も理解していないとか、真夜中を字義どおり理解すべきでないとか、それはイメージ、比喩であり、おそらく概念でさえある、などといって異議を唱える人もいるだろう。私は比喩が好きではないし、比喩に基づく概念はさらに好きではない。私は、ニジンスキーの21941回の真夜中と室伏鴻の24476回の真夜中をひとつずつ想像してみたいと思う。そして2021年の東京で再会した折に、我々の講演会はゼロ時以外に行われるべきではないということを提案したい。
真夜中は存在しない、それは絶対に起こらない。真夜中とは、時間の中心に宿る無であり、生の中心にある死だ。真夜中はどれくらい持続するのか? 2秒? 23h59m59sから00h00m01sまで? 1秒? 23h59m59s51/10から00h00m00s51/10まで? 0.5秒? 23h59m59s7.51/10から00h00m00s2.51/10? 真夜中を見つけ、どれくらい持続するのか言ってみて欲しい。連続体の無限分割をめぐる古来の常套句……
しかも、その名に反して、真夜中は夜の真ん中にあるわけではない。真夜中、確定しえない尖端、2つの24時間の間に挟まれた虚無のブロック、それは真の夜の口火を切ること以外は決して何もしない。このパラドックスはこれまで十分に指摘されてこなかった。新しい日付が正式に始まる時間は、夜明けではなく、夜の中心ですらなく、最も暗く、孤独で、最も空洞化した瞬間の閾である。夜の中心──真夜中とはその序章であり可能性であるにすぎない──、それは人通りのまばらなエリアであり、売春婦、不眠症者、自殺者、麻薬中毒者、タクシー運転手のエリアである。救急搬送と当直船員が最も恐れる時間。午前2時から4時までの間。
真夜中は絶対に場所をもたない、夜の真ん中にさえ存在しない。
私の計算式はなかなか上手く進まない。おそらく、私は比喩に身を委ねるべきなのだろう。とにかくイメージを作ること。
ニジンスキーの夜は、比喩的に言えば、何であるかよく知られている。それはニーチェやアルトーの夜と同じで、彼の狂気である。より具体的に言うなら、作品の不在のなかで狂気によって崩壊し、無言症と緊張症という拘束衣を纏いながら、1919年から1950年までの30年間、彼は診療所と病院を転々とした。
だからニジンスキーの真夜中は、彼の夜の閾、狂気の閾である。正確な瞬間を挙げるとすれば、精神病への転換が記録されている1919年1月から3月にかけての『日記』の記述が、心をそそる手がかりとなるのは明らかだ。しかし、『日記』は紙上の真夜中にすぎない。それは真夜中の執筆の読み易い筆跡であり、さらには、読解可能なものとなったそれ以前の真夜中すべての痕跡にすぎない──公演後の孤独な真夜中と目も眩むような転落の真夜中、不確実なセックスの真夜中、来るべき作品の真夜中、紙に書かれたにすぎないダンスの真夜中、言語とアルファベットを作り直すことを欲する全能感の真夜中、道化と神の真夜中……1919年の最初の三ヶ月は、他のすべての真夜中を祓い除けようと試みて、完全に打ち砕かれた偉大な真夜中だった。
室伏鴻は、『半獣神の午後(アプレ・ミディ)』の続篇を製作しようとした。それを、半獣神の「真夜中後(アプレ・ミニュイ)」と呼ぶこともできるだろう。だが「真夜中後」とは、すでに見たように、夜そのものであり、つまり沈黙と作品の不在にほかならない。加えて言うなら室伏鴻自身は、彼の作品を『真夜中のニジンスキー』と題することを決めていたのであり、「真夜中後のニジンスキー」とはしなかった。だとするなら、夜の中心で、真夜中の後に、真夜中をふたたび摑むにはどうしたらよいのか? 後ろに跳ぶこと、ふいに跳びあがること。作品の不在の虚無から、窮極的な無為の痙攣をもぎ取ること。夜の中心で僅かな瞬間だけ奪還されるニジンスキーの真の真夜中は、真夜中の後の真夜中であり、深淵の縁での把握しがたい再浮上である。1939年、『薔薇の精』の小道具や『半獣神の午後』の不動の爆発を、リファールの前でおどけた様子で再現して見せながら、世界の破局の閾で、息を詰まらせながら行った最後の跳躍はまさにそうしたものだ。
室伏鴻はその跳躍によって、時間を一兆回の真夜中へと粉々に粉砕する。土方が彼のダンスを「苛烈な無為」と評したテクストをカメラの前で読み直す室伏の目に、涙が光った。
クラシックバレエとコンテンポラリーダンスを学んだのち、エコール・ノルマル・スペリユールにて哲学の博士号を取得。ソルボヌ大学で美学と哲学の講師を務める。著作に『振付の無為——ダンスにおける作品概念についての研究』(Paris, Vrin, 2009)、アンヌ・カイエとの共著に『ドキュメンタリー芸術——その美学、哲学、倫理的な争点について』(Rennes, PUR, 2017)がある。フランス学士院名誉会員。現在、エクス=マルセイユ大学芸術学部教授。