transit

シンポジウムへ向けて 2020.3-2021.6

外〉 非・知 越境性 言葉なきもの・・・
それらの変形を、
生きつつ死んでいるような変異を、
生きること
いかがわしい 不揃いな 奇型の知こそが
絶望への希望 かすかな光明である

室伏鴻

01

収容所の愉楽

鴻英良

私は、あるとき、室伏鴻の「真夜中のニジンスキー」というプロジェクトがある空洞の中への生成の試みなのではないかと直感し、これがあらゆるときに必要とされる、いや、20世紀の人間の活動の中心的特質であったレジスタンスの新らたな模索がなされる場所になるのではないかと思いはじめた。 何に抵抗するのか。20世紀には、多くのレジスタンスの試みがあった。うずくまる身体、それは抵抗の姿勢だった。挫折。20世紀は、同時に無数の挫折を積み重ねた悲劇の時代でもあった。だが挫折は同時に革命の、敗北した革命の実践とともにあった。多くの戦争もあり、多くの人々が殺された。「革命と戦争の時代」。20世紀を多くの人々がそう呼ん

02

室伏鴻の日記において

スティーブン・バーバー

室伏鴻の日記において、私たちは、人間の身体にかかわるすべてのこと、名前を無効にする交通の要請としての〈外〉、そして永遠に問い続けられ粉砕されねばならない裁きの身振り、といったことの果てしない探求を目撃する。 まさにそのような地帯でこそ、生と死の間で揺らぎながら変容が試みられるように思われる。 室伏鴻はこの日記の断片の中で、ドストエフスキーの裁きと罰について触れているが、おそらくアルトーが1947年に書いた最後のラジオ作品『神の裁きと訣別するため』の文章のことも、同時に考えていたのではないだろうか。それはダンスが(ドラムと叫びとともに)、裁きとペストの両方を無にすることを想像させる、「そこに

03

亀裂した身体から野生の花へ

クリスティーン・グライナー

室伏鴻の日記の中に、1998年に書かれた土方巽についての短い文章を見つけました。「亀裂した身体」……「もはやなにものでもないものという概念へとひらかれた踊る身体」について書かれているものです。 ここ数年、私はこの「亀裂した身体」について、非‐同一性への扉を開く可能性について考えてきました。それは何を意味するのか。 1983年、室伏は自身の舞踏体験について「偶然の出来事」という言葉を用いて語っています。もしかしたら、ある意味では、これらの「偶然の出来事」は、「亀裂した身体」と関係しているのかもしれません。というのも、私はたえず舞踏を、風変わりな美学的モデルやダンス言語のシステムとしてよりむし

04

踊りながら 旅のノート 土方98
より一部抜粋

室伏鴻

切り詰めること。貧素の極限まで追い詰めるようにして踊ってきた。 外の線を引き込み、旅と放浪と亡命の線を身体上に極限して、踊ってきた。 息で別の息に交接し、複数の息と複数を暴力的に引き出す。窒息させる。 みずから窒息する、踊らない白い沈黙であること。 (私の息のなかにはつねに他の息がある。私の思考のなかにはつねに他の思考があり、私のもっているもののなかにはつねに他の所有がある。重要なのは、すべては複数であり、私は他者であり、何か別のものが、思考という攻撃、身体の多数化、言語の暴力において、われわれのなかで思考しているということ。ここに楽しい知らせがある。) 夜の外の夜の声、叫び

05

不確定なものとしての室伏

ジョナタン・カウディーヨ

室伏の作品に近づくのが難しいのは、根本的にとらえどころのないものだからである。このことが意味するのは、彼の死後であっても、彼のダンスとそれを説明する彼の言葉を、決定的な意味を持つ概念として捉えてはならないということだろう。たとえ他の哲学的・芸術的要素との対話があったとしても、私たちは彼の作品を作品自体、そして言葉自体から考えなければならない。確かに、室伏が自分の作品を考える上で重要な芸術家や哲学者との対話を確立していることは容易に理解できるが、同時に、室伏の作品はそれ自体がすでに思考の出来事であり、それは彼ら思想家や芸術家との対話が、単なる軽率な羅列というより、むしろ開かれた議論であることを示

06

1028の真夜中

フレデリック・プイヨード

ニジンスキーは自分のことを神だと思った そして彼は神を殺そうとした 室伏鴻 1889年3月12日から1950年4月8日までの間に、ヴァスラフ・ニジンスキーは21941回の真夜中を通過した。彼の最初の泣き声から最後の呼吸に至るまで、真夜中は時間の連続性に切れ目を入れ、日付を跨ぐごとに彼を揺さぶった。同じ計算式を適用すると、1947年6月14日から2015年6月18日までの間に、室伏鴻は24476回、つまり、ニジンスキーよりも2535回多い真夜中を過ごしたことになる。我々はこの2535回の真夜中から何を学ぶことができるだろうか? 同時に、1947年6月14日(室伏鴻の誕生)と1950

07

日記  Paris 1998/5/4

室伏鴻

(前略) フランシスの部屋で(なんて暗くて、気分のこもる部屋、スタジオだろう)シャワーを浴びながら、 ≪意味、すべての意味からの逃走≫ ということばが浮かんで来る。 不可能なものとして常にすでに足元にありながら、 決して到達するということのありえない、唯一的な意味、sens、とは 意味、すべての意味の起源、とその派生の問題だ。 そして何故、近親相姦のタブー、親殺しのタブーが絶対的な意味であるかが問われた。 起源について知っているもの はじまりの言葉とは 律法である。 すべての言葉 意味の起源にある〈法〉。 宗教・国家的一件へと 当然ながら それはつながっていて 芸術と

09

ニジンスキーの残影と
苛烈な無為

越智雄磨

「私」という概念が崩壊しつつあると気づいた時、寺山修司は土方巽とカントールが、人間の肉体を「血の詰まったただの袋」としか捉えていないことに気がついた。 同じ頃、ミシェル・フーコーは近代的な人間の終焉を告知し、人類は初めてアポロ8号から撮影された宇宙空間に浮かぶ地球の画像を見た。人間中心主義は終わった、というのが言い過ぎとしたら、それが疑いの目で見られ始めた時代である。 それはまた、室伏鴻が土方巽の『肉体の叛乱』に気づいた時代でもあり、その舞台に吊られた中西夏之による宙吊りの真鍮板が無機的なものに特有のセクシーさを放っていたことにも気づいていたに違いない。 「死」の捉え方はどうか。「死体」

10

ゾーエーの身体あるいは死体の、
一度として同じでない回帰・反復

竹重伸一

ジョルジョ・アガンベンは、『ホモ・サケル』の中で古代ギリシアにおける生を意味する2つの言葉、ゾーエーとビオスの違いに着目している。ゾーエーとは、他の動物と区別できない剥き出しの生きているという事実、アガンベンはそこまであけすけな言い方はしていないものの、奴隷である労働者の生を意味していると言っても間違いではないだろう。それに対してビオスとは、文化的な生、政治的な意識を持ったポリスの市民の生を意味している。古代ギリシアの民主主義は、実はビオスとゾーエーの間のヒエラルキーに依拠していたのである。一方アガンベンは、近代民主主義をゾーエーの権利要求及び解放として捉えている。これは、ゾーエーがビオスに侵

11

ドストエフスキーの真夜中から
真夜中のニジンスキーへ(予告編)

鴻英良

この夏開かれるシンポジウムで発表してみたいと思っているものの準備に取り掛かったので、今日はそのへんの話をしようかと思っています。 うまくいけば「ドストエフスキーの真夜中から、真夜中のニジンスキーへ」というタイトルで、このプロジェクトと関わっていこうかなと思っています。 スティーブン・バーバーはネットに上げられたトランジットのテキストの中で、室伏鴻が日記の断片の中でドストエフスキーの『罪と罰』に触れているが、おそらくアルトーが1947年に書いた最後の作品『神の裁きと決別するため』の文章のことも同時に考えていたのではないだろうかと書いています。 英語テキストではドストエフスキーのJudgem