第一部

Symposium

室伏鴻と苛烈な無為 Vol.2 「真夜中のニジンスキー」へ

Lecture 13

真夜中に前個体的なものをはこびもつ──室伏鴻の創作ノートによせて

白石嘉治

01

白石と申します。よろしくお願いいたします。

タイトルにあるように「前固体的なもの(préindividuel)をはこびもつ」という観点をてがかりに、1975年から2015年までの編年体になっている『室伏鴻集成』の最後におさめられている「真夜中のニジンスキー」という、見開き1ページくらいのテクストから思いつくことをお話ししてみたいと思います。

「前個体的なもの」という概念は、フランスの哲学者ジルベール・シモンドンの著作『個体化の哲学』に由来しています。いまでは環境問題について、よく3つのオーダーみたいなことがいわれます。地球・生命・人間というような定常系があって、そうした3つの安定したシステムからなるのが世界である。こういう認識がいまのエコ系のひとたちに共有されていると思いますが、シモンドンはすでに1950年代にそういうことを念入りに考えていました。

1950年代のフランスは、存在論が花盛りでした。サルトルはもちろん、ハイデッガーの仏訳者のボーフレとか。あのロラン・バルトも「実存主義」の批評を書いていましたし、カミュも生きていました。60年でしたかね、カミュが交通事故で死んだのは。アクセルとブレーキを踏み間違えたのかもしれないですが、私は殺されたのじゃないかと妄想しています。当時のアルジェリア戦争のさなか、警察はパリでもたくさんアルジェリア人を殺害したといわれている。でも、実態はいまだにわからない。カミュの交通事故死は、そういう状況でおきました。

とにかく、第二次世界大戦後からアルジェリア戦争以前までの15年ぐらいは、思想的に本当に豊かな時代でした。国家や経済のプレッシャーがあんまりなくて、自由が可能だった時代です。その点では、フランスも日本も変わらない。そうした自由も、だいたい55年前後にしぼんでいく。シモンドンは1924年生まれですから、第二次世界大戦がおわったころに成人して、自由な時代のなかで哲学者になっていく。さきほどふれたように当時は「実存主義」の花盛りでした。だれもが「存在」という。それがものごとの出発点とみなされる。でもシモンドンは「存在」も、もともと何かから発生したはずということを思いつく。それで『個体化の哲学』という博士論文を書きあげる。提出は58年です。そこでは鉱物も、生物も、そして人間の精神や共同性も、ある種の不定形な前段階からの結晶作用によって発生するということが語られています。みんな同じパターンで発生して、それが連動している。自由な時代の壮大な博士論文です。

1980年代以前は、博士論文には出版義務がありました。博士論文じたい、あまり書くひとがいなくて、えらい学者がキャリアのまとめとして書く立派な本という感じもあった。出版義務があっても、すぐには出版しなくてもいいし、部分的でもかまわなかった。シモンドンも、博士論文の付録の技術論だけをまず出版します。本論は不完全ながら前半を60年代に、後半を80年代に、というふうに本になる。いまわれわれが手にしている『個体化の哲学』という、もとの博士論文のかたちで出版されるのはシモンドンがなくなってからです。彼はパリの大学で教えていたのですが、『個体化の哲学』とその付録いがいは、本は何も書きませんでした。たぶん、シモンドンじしん、直面している問題の大きさに圧倒されていたのだと思います。

くりかえしますが、第二次世界大戦後から50年代にかけて、存在というものが第一原理とみなされていた。そういう時代に、シモンドンは、ちょっと待ってください、発生という問題があるでしょうということを考えた。そして大胆にも、鉱物、生物、人間の精神や共同性の発生についての、つまり今日では、地球、生命、人間というふうにいわれている世界そのもの発生についての、横断的な概念を『個体化の哲学』でねりあげる。存在というのはすべて個体ですが、そうした個体になる手前を「前個体的なもの」と名づける。そして、鉱物であれ、生物であれ、すでに個体になったものは、そうした「前個体的なものをはこびもつ」という。さきほどふれたように、これが話のタイトルの由来です。『個体化の哲学』じたいの記述にむらがあるのですが、すくなくともその核心のひとつは、個体化はつねに不完全で「前個体的なもの」をある種の残余としてふくみもってしまう、ということだと思います。たとえば私も個体──無機物としても、生物としても、そしてその精神や共同性のあり方としても──ですし、みなさんもそうでしょうが、完全に個体化されているわけではない。あますところなく構造化されているすっきりした「unité」ではない。かならず基層としての「前個体的なもの」が個体とともにあり、その「前個体的なもの」との「齟齬(disparate)」から新たな個体化がおきる。そういう解消不可能な「位相差(déphasage)」における反復の運動が個体化です。だから個体は、前個体的なものとの関係において、つねに個体以下のものでありつつ、別の個体へとむかう個体以上のものへと生成していく。世界は個体の存在の集まりではなくて、個体化の運動につらぬかれている。

02

室伏の『集成』をまとめた渡辺さんと、さっきちょっと雑談していました。そこで話題になったのは、『集成』にはいらなかった膨大なテクストをふくめて、室伏はずっと〈外〉について書いていることです。1975年ないし77年から、2015年ぐらいまで、ずっと〈外〉、〈外〉、〈外〉、〈外〉といっている。私もまた〈外〉と思って読んでいました。それでも、じぶんの職能の卓越をしめすために、その〈外〉でも微妙にちがっているんだとか、そういうふうにいうこともできる。この〈外〉とこの〈外〉がちがうということを細かに解釈する。そうやって教員として生きのびる。社会学者のブルデューふうにいうと、そうした能力をしめすことが「象徴資本」となる。とはいえ、私は「能力」という言葉じたい、世の中からなくなればいいと思っています。だから『集成』のなかでくりかえされる〈外〉をあれこれ比較する「能力」は発揮したくない。くりかえし〈外〉といっているなとうけとめればいい。この本を編集した渡辺さんが、いつも〈外〉っていってるなっていうのは正しい印象です。この本じたい、〈外〉というものは反復によってしかふれられないといっている。あるいは反復そのものが〈外〉であることを告げている。それがポイントだと思います。そして反復の対義語は、たぶん表象です。だから反復がふれる〈外〉は、表象の〈外〉でもある。じっさい室伏は舞踏ではおおむね裸になるわけですが、そこでは裸体が反復されていたのでしょう。裸体が表象されていたわけではない。

20世紀には男性のヌードはふつうです。でも、それ以前はちがいます。美術史のなかでも、男性のヌードはもちろんありますが、まずはキリストです。あるいは神話の神々です。普通の男性の裸体は積極的には描かれなかった。とりあえず裸体というと、やはり女性ということになる。19世紀の絵画でも、男が服を着ていて、女が裸で描かれる『草上の昼食』のような有名な絵が想いおこされるでしょう。それがフェミニズム批評のターゲットになったりもする。ただ、注意しなければならないのは、そうした美術のなかでの裸体は、キリストや神話の神々、あるいは女性のばあいでも、たいていは裸体の表象にすぎない。

先日、ある研究会で、鈴木里菜さんという若い研究者がドガについての非常に優れた発表をしていました。ドガは、19世紀の印象派の人たちのなかでは、ちょっと反動的だといわれる。ざっくりいうと、ピサロとか典型的ですけど、印象派はアナキストが多い。政治的なアナキスムです。そうした印象主義のなかで、ドガはやっぱりちょっとブルジョワっぽい。だからフェミニズム批評の標的になりやすい。じっさいドガの裸婦像では、娼館での身づくろいが描かれたりする。当時のフランスですから、ちゃんとした風呂がありません。金盥みたいなもので体を洗っている。あるいは、裸婦じゃありませんが、バレエの練習をする女性たちが描かれる。そうしたドガの女性像は、支配的な男性の「のぞき見」だと批判される。鈴木さんはそれにたいする説得的な再批判をなさっていたのですが、私なりにそれをふまえていうと、ドガは裸体を表象したのではないように思われます。

たとえば、同じ19世紀には『泉』というような有名な絵があります。裸婦が肩に壺をかついでいて、そこから水が流れでている。こういう絵をみていても、つぎの動作が思い浮かべられない。おそらく、歴史画というジャンルのなかで培われた約束ごとがあったからでしょう。歴史画は、神話や英雄を描くものです。ナポレオン戴冠とかがわかりやすい。神々や英雄の偉業の決定的な場面を切りとらなければいけない。記念写真みたいなものです。きちんと並んでじっとしている。つぎの動作がわからない。こういう歴史画が伝統的な規範としてあった。だから壺から水がどんどん流れているのに、それをかついでいる裸婦は微動する気配もない。それにたいして、ドガは裸婦の身ぶりの反復をとらえる。たとえば、ある裸婦は金盥のなかでじぶんのからだを洗っています。つぎはこうなるだろという感じがする。有名なバレエの踊り子の絵も、舞台の表象ではない。いつも練習という反復が描かれる。

室伏さんの舞踏における裸体の反復も、ドガの裸婦像とおなじことがいえると思います。世界は決定的な場面=表象からできているのではない。くりかえされる身ぶり、せんじつめれば裸体の反復からできている。そして、そういうふうに裸体を反復させることは、表象の〈外〉にでることでもある。さきほどふれましたが、ドガじしんは反動的だったかもしれない。それでも彼の描く裸婦たちは表象の支配のもとにはない。裸体の反復をしめしている。そして印象派じたい、世界を点描による彩色の反復としてとらえようとする。そこには神々や英雄の特権的な場所はありません。ただ、裸体のような原色の反復だけがある。その集合的な共鳴として、世界が発生する。それは印象派のアナキスムと相即するものでしょうし、室伏の裸体の反復、あるいは〈外〉の反復とも無縁ではないでしょう。裸体とは〈外〉であり、それは表象にたいする反復の運動とともにしめされる。

03

ここまでがちょっと長すぎる前置きですが、以上をやんわりとふまえて室伏の「真夜中のニジンスキー」を読み返してみます。それはホイジンガのつぎのような引用からはじまります。「遊びのおもしろさは、どんな分析も、どんな理論的解釈も受けつけない」。ホイジンガは『中世の秋』で知られる歴史家です。引用は同じ著者の『ホモ・ルーデンス』からでしょう。もちろんホイジンガは偉大な歴史家です。ただ興味深いことに、大学生のときには古代インド演劇の研究をしていました。

19世紀のおわりごろ、ひとりの若者がオランダでサンスクリット語を勉強する。どういう気持ちだったのか、ちょっと想像できません。とうぜんのことながら、大学にちゃんとしたポストは期待できない。じっさい不安定な「私講師」をやっていた。仏教とかを教えていた。龍樹やその『中観』で述べられているような「空」や「無」といった思想にも精通していたのでしょう。その後、なかば偶然に大学に職をえるのですが、もちろん古代インドなんて教えられない。地域の歴史をやらされる。歴史家ホイジンガのはじまりです。『中世の秋』では、暗黒の中世という既存のイメージがくつがえされます。国家にせよ教会にせよ、統治のがわは弱体だったかもしれない。暗黒かもしれない。他方で、統治がゆるかったからこそ、逆にひとびとの生と死は輝いていた。それがつまびらかにされる。そして『ホモ・ルーデンス』では、そうした『中世の秋』の記述をつきうごかしていたヴィジョンが語られます。人間の本性は労働にあるのではない。「遊び」にある。労働は特殊な「遊び」であり、統治の都合のいいように制限された「遊び」にすぎない。統治が弛緩した中世が輝かしいのは、人間の本性ないし自然としての「遊び」が横溢するからである──こうしたホイジンガの「遊び」という概念は、彼のベースにある古代インド哲学からきていると思います。室伏は『集成』のどこかで、じぶんのやっているのは東洋哲学かもしれないともらしていたことが想いおこされます。それはすぐに留保されるのですが、すくなくとも、ホイジンガは古代インド哲学の「空」や「無」から「遊び」をひきだしたのですから、ホイジンガのことばを引く室伏の〈外〉の反復は、「遊び」としての「空」や「無」につうじているはずです。

ところで、さきほど労働は制限された「遊び」だといいました。そうした労働が文明をつくります。つまり、ルールにもとづいて「遊び」から労働をとりだし、そこからの逸脱をとりしまる。文明は「ルール-とりしまり-労働」という連鎖にそって作動します。そして、この連鎖のなかで、大きな建物をどんどんつくる。だいたい三階建て以上の建物をつくる。三階建て以上だと、つくっているときに落ちたら死ぬかもしれない。だから三階建て以上の建物をつくらせるということは、じぶんのためには死者がでてもかまわないということです。文明にはそういうとんでもない邪悪さが前提されている。文明は危ないです。だから、みんなが平屋に住むようになれば文明の呪縛から目がさめるのだと思います。

とにかく文明というのは、かならず巨大な建物をつくる。ピラミッドも墨田区の庁舎も、その点ではおなじです。遊んでいても、低い建物はできると思いますけど、三階建て以上の、さらにスカイツリーみたいな高い建物はできない。というのも「遊び」は、横すべりしていくものだからです。積みあがってはいかない。「遊び」の語感からいってもそうですけど、存在と存在の隙間が「遊び」です。隙間としての「遊び」があるからこそ、建材はもちろん、目にみえない粒子、あるいはひとの出会いもそうでしょうが、それらの組み合わせによって生成がおきる。事物や出来事がたちあらわれる。シモンドンのいう「齟齬」や「重位相」も、こうした空隙としての「遊び」が前提されているのでしょう。「遊び」という空隙において、カップリングがくりかえされる。なにとなにが組み合わされるかわからない。だから、室伏が引くホイジンガのいうように「どんな分析も、どんな理論的解釈も受けつけない」。

このことを逆にいうと、「分析」や「理論的な解釈」には隙間はありません。「穴だらけ」というのは、それらが成立していないということです。表象についても同じことがいえるでしょう。表象は対応関係にもとづく。「遊び」の組み合わせとはちがって、必然的なものです。対応関係に隙間があってはいけない。より正確には、もともと「遊び」の隙間があったから結びついたにもかかわらず、その隙間をうめて固定したものが表象です。そうした表象の体制のもとで、「ルール-とりしまり-労働」という文明の連鎖も作動する。それにたいして、空隙としての「遊び」は、すべての生成の前提であるにもかかわらず、そこになにもないわけですから、ホイジンガが知悉していたような「無」や「空」であるともいえます。じっさい、室伏もホイジンガを引いた直後に、「遊び」は「究極のムダ」であり、「「無」の究極、その喜びである」とつづけます。「ムダ」というのは、文明の巨大建築にとっては不要で排除すべきものということでしょう。いずれにせよ「遊び」は喜ばしい「無」であるという。そして、こうした「無」としての「遊び」は室伏が反復する〈外〉とかさねあわすことができると思います。

じっさい、室伏は「真夜中のニジンスキー」の直前におさめられている「「無数のニジンスキー」のために」のなかで、「純粋な「外」の体験」において「ひきつけられる」ということは「空虚と無一物の状態の中で、外の現存を、そしてこの現存と結びついているものだが、自分がどうしようもなく「外」の外にあるということを感じるということ」であるというフーコーのことばを引いています。室伏はフーコーに仮託しつつ、みずからの〈外〉を「空虚と無一物の状態」、つまり「遊び」の空隙とかさねているのでしょうが、注意すべきは、そうした〈外〉が「「外」の外」であるといわれていることです。外が二重化されている。かりに外1と外2というふうに区別するなら、ふつうわれわれがむきあっているのは外1だと思います。文明による外からの強制といってもいい。ああしなきゃいけない、こうしなきゃいけないという。たとえば、今日もここに来るときに、窓から入ろうかと一瞬思ったのですが、それはゆるされない。すごくかんたんで、今日の気分にぴったりだとしても。文明の道徳として、強制としての外1はすみずみにまでゆきわたっている。こういう外1にたいして、対称的な内部性がつくられる。それは文明の強制にたいする適応といってもいい。自己啓発やSNSとか、みんな外1にたいする対称的な内部性の適応です。

そうした外1にたいして、外2という「「外」の外」が考えられている。室伏にとって、それは世界そのものを生成させる空隙ないし無としての「遊び」だろうと思います。「究極のムダ」ともいわれていましたが、「究極」というのはふつうじゃない。ふつうの外1にたいして、「究極」の外2のことでしょう。それが「ムダ」であるのは、文明の強制にたいして非対称的な関係にあるからです。対称的に適応の物語をつむいでいくのではなく、文明の表象の体制そのものを罷免してしまう。それは守中高明の近著の『浄土の哲学』で引いていたドゥルーズの「自然」の定義を想いおこさせます。ドゥルーズはそこでルクレティウスの原子論について語りながら、「自然」には「付与的=属詞的(attributive)」ではなく、「結合的=接続詞的(conjonctive)」であるという。「付与的=属詞的」というのは、強制的になにか割り当てて、紐づけて帰属させることです。文明の表象の体制のやり方です。それにたいして、「自然」が原子の結合からなるのだとすれば、そこではたらいているのは原子のあいだの空隙です。「遊び」という究極の「無」における「結合」や「接続」です。守中にとっては、念仏の反復がそうした「自然」としての「浄土」をまねきよせる。室伏にとっては、裸体という「無」の反復によって、おなじように「「外」の外」が触知されたのでしょう。そして念仏や裸体の反復は、労働への帰属をしいる文明への罷免であり、「究極のムダ」の「悦び」でもあるのでしょう。

04

おなじことは、さきほどふれたドガの裸婦像についてもいえると思います。女性の裸像を歴史画の表象の体制に封じ込めるのではなく、身ぶりの反復を描くことでそうした体制の外の〈外〉へといざなう。ドガじしんの意識とはべつに、彼の裸婦像には、いわば「遊び」の「悦び」があります。ここで19世紀のフランスにおける女性について、ちょっと確認しておきたい。当時は、ドガの描いたような娼婦たちだけでなく、女性一般がいまでいう「被差別」の状態にありました。参政権どころか、そもそも財産権もない。この状態は第二次世界大戦までつづきます。女性が銀行口座をひらけるようになったのは戦後のことです。その意味では、19世紀のフランスは、それ以前のアンシャン・レジームよりも後退している。アンシャン・レジームでは、ふつうのひとの財産権なんてあまり問題にならなかった。身分が高ければ女性も財産を相続できた。もちろん差別はいろいろあったのでしょう。でも、女性全体が被差別の状態におかれるということはなかった。19世紀のフランスは、なんというのか、もうタリバンみたいなものです。だから、当時、女性を描くということは、差別を描くということでもある。しかも、絵画だけでなく、当時の小説では女性がどんどんでてくる。みんな無権利状態です。藤村の『破戒』だけじゃないです。そういう小説があらそって読まれる。無権利状態の女性を主人公にしたらどうなるか。ある意味で、それが小説というジャンルです。

他方で、19世紀のタリバン的なフランスにとって、ノーマルな存在はとうぜんのことながら男性です。「男性(homme)」こそ、「人間(homme)」というわけです。そして、やっと20世紀になって、ポストヒューマニズムが問題になる。おそらく「人間=男性」は、砂浜に描かれた絵のように波にあらわれて消えていくのでしょう。でも、ぼんやりと信じられているように、「人間=男性」がたとえば「AI」にとってかわられるのではない。シモンドンを想いおこしましょう。ある個体は、みずからがはこびもつ「前個体的なもの」との「齟齬」ないし「重位相」をつうじて、べつの個体へと個体化=生成していく。では、「人間=男性」にとっての「前個体的なもの」とはなにか? すくなくともフランスの例にかぎるならば、それは「人民(people)」ということになる。フランス革命は「人民」の蜂起からはじまりました。男女の区別なく、あるいは大人や子どもの区別もあまりなく暴れまわる。革命の前年に上演された『フィガロの結婚』には、そうした状態の予兆が読みとれるともいわれます。アンシャン・レジームでは、「人民」は文明の表象の体制にあまりとりこまれていない。ほとんどドゥルーズのいうような「自然」の状態にあった。「人民」には「帰属」するほどのよすがもなく、ただ「結合」や「接続」を反復するだけです。蜂起したのは「人間」ではないし、誰であるともいえない。「無」ないし「遊び」の空隙をつうじて「人民」の蜂起が結晶する。

おおざっぱにいうと、バスチーユ襲撃からナポレオンの支配までのフランス革命は、こうした「人民」の自然をジェントリファイするプロセスです。『フィガロの結婚』の「人民」はたのしげだけれど、蜂起する「人民」は当時のブルジョワジーにとっては恐怖でしかなかったのでしょう。まず「人民」から女性を差し引く。さきにふれたように、女性一般を被差別の状態におく。いわゆる「人権(les droits de l’homme)」は、「人間=男性(homme)」の権利です。そして、そうした「人間=男性」の抽象を「市民(citoyen)」なるものによっておぎなう。田舎にひそんでいるかもしれない「人民」をジェントリファイする。当時の男の哲学者たちがしきりに「人間」や「市民」を語るのは、こうした「人民」のジェントリフィケーションに掉さしているからでしょう。カントからコントぐらいまで、あいだにヘーゲルをはさんで、「人間」や「市民」という概念をねりあげる。「人民」が怖かったのでしょう。なにしろ「無」の「遊び」ですから。室伏さんの舞踏も不気味といえば不気味ですし……。

もちろん19世紀のフランスも、タリバンばっかりじゃない。ドガの裸婦もあるし、小説も隆盛した。あるいは「真夜中のニジンスキー」にもでてくる『牧神の午後』というテーマでもある。室伏も山や山伏について言及していますが、牧神というのは山のカミのようなものです。ディオニソスのようなものといってもいい。平地の文明にたいして、山の「自然」をよびおこす。「人間」や「市民」のなかに、「人民」という「前個体的なもの」をよびおこす。それが「牧神の午後」のテーマです。じっさい室伏はホイジンガのことばを再引用して、「〈間〉にあって混成すること、コンビネーションにおける複数の出会い、無数の差異とその生成変化が第一の意義である」といいます。おなじことは、『フィガロの結婚』で描かれた、あるいはフランス革命で蜂起した「人民」についてもいえるでしょう。室伏にとっての舞踏は「無」の反復としての「遊び」だったのでしょうが、みずからがはこびもっているはずの「自然」という「「外」の外」、つまり「人民」という「前個体的なもの」をよびおこすことでもあったのではないか?

そうしたことをふまえたうえで、「真夜中のニジンスキー」のさいごの段落を読んでみます。まず「芸術とは、無用の用である」とある。「無用の用」というのは荘子のことばでしょうが、ちょっと面倒臭い概念なので飛ばします。そして「遊戯=遊びに限りなく近い。生産に対する非生産、労働に対する遊び、祭り=祭式=羽目を外すこと=山に入ったままで出てこないこと=〈死を生きる〉こと=そうして次の、別の、未来の〈性=生=生産〉に寄与すること。遊び、それは身体を通し、身体とともに成る=為されるものだ」とあります。「遊び」は「労働」にたいする「非生産」です。「無用」というか「無」において、「祭り」や「山」がよびおこされています。たぶん、文明の臨界で「結合」や「接合」がおきるのでしょう。それは「〈死を生きる〉こと」です。われわれとしては、この「〈死を生きる〉」とは、外の外で「前個体的なもの」へとむかうことであると考えたい。なぜなら「前個体的なもの」との「齟齬」なしには、「別の、未來の〈性=生=生産〉」は生成しないからです。しかも、こうした「遊び」のすべては「身体」なしにはありえない。われわれじしんの「身体」こそ、外の外であり、「前個体的なもの」をはこびもっている。あるいは「人民」をはこびもっている。「成る=為される」というかたちで「結合」や「接続」がくりかえされる。

こうした外の外であるような「身体」の反復は、「真夜中」という無の「遊び」のなかで生じます。図式的にいうと、昼間は表象の世界です。それにたいして、表象の反対が反復であるならば、夜は反復の世界といえるはずです。だいたい夜やることは反復です。歯を磨くとか、寝息をたてるとか。ね。そいて、そうした「身体」が反復する「夜」ということで想いおこされるのは、ピエール・クラストルの『国家に抗する社会』です。彼はもっぱら1970年代のパラグアイの軍事政権によって弾圧されていた少数民族についての調査をした人類学者です。彼も77年に交通事故で亡くなっています。そのちょっとまえに、同じ調査をしていた師匠も亡くなっている。どんどん死んでなんだかおかしいですが、とにかく『国家に抗する社会』では、未開のひとびとは国家ないし文明からとりのこされているのではなく、それらの強制からぬけだした状態を生きているということが説かれる。国家や文明はヒエラルキーをともないます。それにたいして、未開社会はつねに平等が優先される。リーダーは不安定な状態におかれる。そうやって国家や文明にあらがっている。こんなふうに『国家に抗する社会』は読まれるのでしょうが、私が読んで興味深く感じたのは、そういう国家や文明の外としての未開社会のなかに、もうひとつの外がみいだされることです。未開社会にもいろいろなルールがある。いばってはいけないとか、狩猟の成果はひとりじめとか。でも、やっぱりめんどうくさい。だから、そういうとりきめが嫌になって、夜になるとひとりになって歌う。夜の歌を歌う。たいした歌ではない。狩りはじぶんが一番うまいとか。「真夜中のニジンスキー」にも「「牧神の午後」(のオナニー)」ということばがありますが、そんな感じです。でも、大切なことは、それが未開社会にたいする外になっていることです。国家や文明にたいする外としての未開社会がある。そしてそのさらに外として夜の歌が歌われる。クラストルの美しいテクストによれば、それは「我歌うゆえに、我あり」という境地であり、「普遍的な夢、あるがままの自己から脱しようという夢が眼ざめている」。夜の歌をつうじた個体化によって、外の外がまねきよせられています。

ジョルダーニアの『人間はなぜ歌うのか?』っていう有名な本があります。あるいはその翻訳に解説を書いている岡ノ谷一夫の『さえずり言語起源論』。そういう本を読むと、歌うということは、息をとめることだとわかる。鳥が歌えるのは、飛ぶときに息をとめなければならないからです。クジラも歌える。息をとめないと水を飲んでしまうから。そしてサルのなかまでは、理由はさだかではないけれど人間だけが息をとめられる。だから歌える。息をとめるのですから、空隙ないし「遊び」がはいっている。無がはいっている。そうやって、鳴き声を区切ることで歌う。もともとは、ライオンとかを追い払っていたらしい。集団で歌う。そうすると、ライオンも猫とおなじように後ずさりしたのかもしれない。その意味で、歌と踊りはむすびついていたのでしょう。大切なことは、そのもとのところに、息を止めるっていう、死と隣接した身体性があることです。その空隙をたもった言葉の発生がおそらく詩とよばれるものだと思います。歌や踊り、あるいは詩もそうですが、それらは息をとめるという身体性にもとづいている。空隙としての「遊び」、つまり無の反復にもとづいている。夜の歌という外の外で個体化がおきるのは息をとめているからであり、室伏のことばをかりるならば「〈死を生きる〉こと」だからだと思います。そしてそうした身ぶりの反復だけが、われわれが外の外にはこびもっている「人民」という「前個体的なもの」をつうじて、いくばくかの未来をよびおこすのだと思います。

05

2011年に原発の爆発があり、いまはコロナ禍です。そうしたなかで、2018年にまとめられた『集成』を読むことにどのような意味があるのでしょうか? すくなくとも「真夜中のニジンスキー」が告げているように、まさに「真夜中」にしかありえない外の外としての、「遊び」ないし「無」としての身体性の反復にもとづいて、世界そのものをとらえなおす。それが室伏のテクストから引き出すべきものだと思います。今日のグローバリゼーションとは、世界を表象の体制のもとに包摂することです。近代という枠組みで考えてもそうかもしれない。もっと長い文明についても、おなじことがいえる。そうした表象の体制のなかで、原発が爆発して放射能がまきちらされたり、致死性の高いウイルスが猖獗したりする。いずれも表象できないものです。実在するにもかかわらず表象の体制からは逸脱している。問われているのは、不可視の実在論、あるいは不可視の身体論です。ドゥルーズのルクレティウス論はそうしたものでしたが、室伏の語る「遊び」や外の外への反復も、おなじ不可視の身体論のこころみであるといえるでしょう。世界は可視性のもとで隙間なく統御されているのではない。不可視の無数の空隙がうがたれている。そして夜の歌という身体性が反復されている。

さいごに哲学史的なことを補足しておきます。ルクレティウスは原子論をかたります。でも、19世紀的な社会学でいわれるような、孤立した個人の比喩としての原子論とはなんの関係もありません。神話は神々を語ることで、文明の起源を正当化します。それにたいする対抗言説がいわゆる自然哲学です。起源は神々ではなく、水であったり、空気であったりする。さらには「無際限」なものとされる。すべては流動するもの、生成するもの、運動するものであって、固定的な神々ではないというところまでいく。それにたいして、神々ではないけれども、不動の存在を起源にたてるパルメニデスやゼノンもでてくる。生成や運動を否定する。矢は飛んでいないし、アキレスは亀においつかない。原子論はこうした生成と存在の対立を解消するものです。つまり、原子という存在の組み合わせとして生成を語る。だから自然哲学は原子論で完結するのですが、ある種問題が起きてしまう。原子のあいだの隙間が問題になる。無の問題がでてくる。プラトンやアリストテレスは、その空隙をイデアや形相でうめようとする。なにもないわけではなくて、精神があるというわけです。そこから表象の体制を構築していく。室伏が語る「遊び」は、こうした精神による空隙の充填をしりぞけるものです。世界には空隙が無数にうがたれている。そこに精神ではなく、身体性をみてとる。空隙の反復をみてとる。何もないところに、息を止める。リビングデッドとなる。そこから声が出てくる。踊りが出てくる。世界はそういう身ぶりの反復からできている。

おそらくシモンドンも、そうした空隙ないし「齟齬」の反復から世界ができていると考えていました。その意味で「前個体的なもの」とは、個体の表象におさまらない「遊び」であるともいえると思います。そうした「遊び」としての「前個体的なもの」から世界そのものが湧出してくる。世界はけっしてイデアの影ではないし、フォルムの鋳型におさまるものではない。このコロナ禍で、あるいは原発禍で、無数にうがたれた空隙ではたらく不可視なものの身体性みたいなものを真剣に考えないと手も足も出ない。だから室伏のテクストをくりかえし読まなければいけない。じっさい、室伏にとって身体は形のない空隙ではたらく力そのものでした。「真夜中のニジンスキー」のさいごのところです。「身体=力の誠実さの運動である。それは、その誠実さによって感染する。エフェメラル、はかない。はかないとは、〈墓がない〉ことなのだ。」「墓」は文明の表象ですからね。どんどんでっかくするとビルになります。「自身の身体が墓である。こうして意味することと、なにものも意味しないことの、意義と非–意義の間のコンビネーション=混成に可能なものの、最小で最大の意義を見出すこと……。発明、発見する/されること。その〈間〉の出来事になること。」「混成」というのは、無の「遊び」、外の外で生じる組み合わせですね。そうした「混成」の反復のなかで「人民」という「出来事」が出来する。「前個体的なもの」をつうじて「人民」へと生成する。人間をやめる。そういうことだと思います。どうも、ご静聴ありがとうございました。