第一部

Symposium

室伏鴻と苛烈な無為 Vol.2 「真夜中のニジンスキー」へ

Lecture 03

ドストエフスキーの真夜中から真夜中のニジンスキーへ

鴻英良

本来であれば、ここにいろいろな人が集まって、「真夜中のニジンスキー」という一連のプロジェクトの中の一つとして私が話をするはずだったのですが、みなさんご存じのように、世界的に蔓延しているコロナ禍のために集まることができないので、今日は私の話を映像でお届けします。またこれらのレクチャーを基にしたいろいろな議論が行われるということも聞いています。
 本来、去年実施する予定だったものが1年延びているわけなのですが、1年間ただ何もしないで待っているというのではなくて、その間にもこのプロジェクトをめぐっての展開を試みるという必要があるんじゃないかということで、transitという言い方で、いろいろな意見交換を、活字、あるいは映像などでやってきました。
 その時点では、少し後にはみんなで集まれるだろうということを前提にしていたわけです。私としては、ドストエフスキーとニジンスキーを関連づけるようなことを調べて、考察を進めようかなと思っていました。そして、最終的に、「ドストエフスキーの真夜中から真夜中のニジンスキーへ」というテーマで、「真夜中のニジンスキー」というプロジェクトに関わってみるということで、transitの中ではその予告編的な話をしました。

室伏鴻がやろうとしていた「真夜中のニジンスキー」というプロジェクト、まさに始まりのところで室伏さんが亡くなってしまい、このプロジェクト自体が中断されているわけですけれど、その中断されたプロジェクトから何か新しいものを作っていくという試みを、プロジェクトに関わっていた人たち、あるいは直接はそれには関わっていなかったけれど興味を持っていた人たちによって先に進めていくということが試みられていて、私もそれに関わるようになったわけです。


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そういう状況の中で、transitを始めたおかげで、私にとっては想像してなかった非常に興味深いテーマ系が現われてきました。
 それが、スティーブン・バーバーがtransitに寄せたテクストです。彼はそのテクストの中で、室伏鴻にとってのドストエフスキー、それと同時に、室伏鴻にとってのアルトー、この二人の思想、活動が、室伏鴻の中に非常に意味を持ってあったのではないかということを、Judgmentsという言葉にひきつけながら、指摘しています。
 Judgments and Punishments。ジャッジメンツという言葉と──これ複数形になっているんですけど──パニッシュメンツ。パニッシュメンツ、これも罰ですけれども、複数形になっていて、この二つがドストエフスキーにとって非常に大きなテーマではないかということなんですね。あまりに大きすぎるんですよ。なかなかうまく言えないんですけど、このJudgments and Punishmentsという言葉を最初日本語に訳すときに『罪と罰』って訳してくれた人がいて、このことによって私はいろいろなことを考え始めていたわけです。その話を前回したわけです。
 つまり、Judgments and Punishmentsというのは、罪と罰ではないんですよね。『罪と罰』、ドストエフスキーの『罪と罰』がすごく重要だというのは当然なのですが、Judgments and Punishmentsと、ドストエフスキーの『罪と罰』における「罰」をも含めたPunishments。それから、Judgmentsとなると、普通思い出すのが、『カラマーゾフの兄弟』の中の大審問官なんですね。
 もともと、室伏さんは、ドストエフスキーについて興味を持っていたようですが、「法とは何か、掟とは何か」という問いをして、その後で『「審判」Process「罪と罰」』というふうに書き留めている。この審判が、ドストエフスキーの審判なのかカフカの審判なのか本当のところはわからない。これが仮にカフカの審判だとしたら、カフカとプロセス、罪と罰、ドストエフスキー、ということになってきますよね。
 だから、室伏さんの舞踏という、いわゆる作品を作ったりする活動の中で、カフカとかドストエフスキーが非常に意味を持ってくるというのもわからないではないですね。プロセスっていうのは審理ですよね。法的な審理です。
 ただし、罪と罰と審判を並べたときに、ドストエフスキーとカフカっていうふうに考えるだけではなくて、『カラマーゾフの兄弟』の中の大審問官を想定しながら何かを考えていた人が、同時にアルトーの『神の裁きと訣別するため』も念頭に置きながらこの文章を書きつけたのではないか。というふうにスティーブン・バーバーが想像したときに、このことによって『神の裁きと訣別するため』というそのアルトーの重要なポジションと、ドストエフスキーが『カラマーゾフの兄弟』の中でイワン・カラマーゾフに語らせた大審問官の物語、これは神の裁きと決別するために何をしなければいけないのかということの一つの原型をドストエフスキーがイワンに語らせているものですが、私としては、そこに共通したものがあるということが言えるというふうに考え始めたわけです。

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そんな感じでこの『室伏鴻集成』を見ていくと、いくつかの重要な作家たち、思想家たちの名前が出てくるわけですね。そこに、どういう人がいるかというと、ニーチェ。それと、「真夜中のニジンスキー」というタイトルの作品を作ろうとしていることからも分かるように、ニジンスキーに対する関心が非常に強いわけですけれども、そう考えると、室伏さんの思索の中で、非常に重要なところに位置する人たちとして、ニーチェ、ドストエフスキー、カフカ、アルトー、そしてここにニジンスキーというダンサーが入ってくるわけですね。
 この、5人というようなものをどう考えるかというときに、19世紀から20世紀にかけて重要な役割を果たし、大きな力を持っている人を5人挙げなさいと言われたときに、この5人を室伏さんが挙げているというふうに考えると、非常に意味のあることが構想できるのではないかと思い始めています。
 ニジンスキーとアルトーが入っているから、文学系の人でダンスとか演劇とかを軸に活動していない人だとちょっと違ってくるかもしれませんが、ダンスとか演劇などを軸にしていない人でも、ドストエフスキー、ニーチェ、カフカ、この3人を挙げる。例えば、スタンダールとかトルストイとかディッケンズとかではなくて、ドストエフスキー、ニーチェ、カフカっていうこの3人を挙げて、19世紀から20世紀の重要な考え方、ビジョンを提示した人達って言うとすると、これは、いい加減な、大雑把な私の感覚なんですが、室伏さんの世代というのは、実は私とほぼ同い年なんですけども、私の世代の、そんなに文学について目配りのない、あるいは思想についてそんなにいろいろなことを知っている人ではない、私のような人間が、3人挙げるとすると、その当時でいうと、ドストエフスキーとニーチェとカフカなんです。ですからこの3人を軸にして、「真夜中のニジンスキー」という作品を考えているような表現者がいたというときに、彼がいわゆるニジンスキーじゃなくて、真夜中のニジンスキーですよということを言おうとしている、考えている、表現者だとする。そしてドストエフスキー、ニーチェ、カフカといったときに、一体何がつながるかというと、それは真夜中なんじゃないかと、私は思い始めてきたんです。

そうなってくると、ドストエフスキーの真夜中って何っていうことになるわけです。さらに、カフカの真夜中とか、ニーチェの真夜中って何なんですか。そういう話になってくるのかなと思い始めていて、実はこれ私、未だにうまく説明ができないので、今日どこまでそれが話せるかって問題なんですけど、これが話せると、19世紀、20世紀論が一つの姿をとるんじゃないかというのが、実は私の説で、これは、室伏さんはそういうようなことを考えるような思想的状況の中に、あるいは文化的な状況の中で作品を作ってたんじゃないかというふうに思うわけです。

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これを、どういうふうに説明したらいいのかっていうことなのですが、最近、錬肉工房の岡本章さんが演出した、メーテルリンクの『盲人達』(1890年)という舞台を偶然見たのですが、盲人たちは、目が見えないわけですよね。
 それで彼らは収容施設に入れられていて、収容施設で治療者たち、世話人たちによって生活している。面白くないということで、散歩に出かけるわけですけど、散歩に出かけるときに先導者が必要なので、神父さんが先導して森の中を散策するのですが、その神父さんがどっかに行っちゃって帰ってこないわけです。盲人たちは神父が戻ってくるのを待っているんだけど、盲人たちは目が見えないので、そこから動くことはできないわけですね。いつまで経っても帰ってこない。
 そうこうしているうちに、だんだん日が暮れてくる。そうすると、ふと気づくと、何やら動かないものが近くにあるということで、それが神父なんですね。盲人たちが待っていた神父は既に死んでいたんです。つまり、待っていることに意味がなくなってしまうわけです。そして、絶対的な絶望の中に投げ込まれる。これがメーテルリンクの書いている、象徴主義的なシチュエーションなわけです。
 象徴主義っていうのは、そういう意味で、絶対的な、究極的な、極限的な死の状態を描いているわけです。真夜中、出口のない真夜中を描いているメーテルリンクの象徴主義的な演劇を、ロシア人たちはそれから10年後にものすごく重要視するようになり、そして、死についての演劇が、頻繁に上演されるようになります。
 そして、この作品よりも10年近く前に書き上げられたのが、『カラマーゾフの兄弟』です。ドストエフスキーの真夜中というものが、メーテルリンクのこの絶対的な空隙として表現されたときに、ドストエフスキーの後にくるロシアの詩人たちや作家たちが、それを絶賛して、そして死の象徴性というようなものに引きずり込まれていくわけです。ここで重要なのは、ドストエフスキーの真夜中、象徴主義の絶対的な死、その中に投げ込まれた人間、それを象徴主義者が賛美するときに、そこにいる盲人たちはそこで絶望しない、ということなのです。
 つまり、真夜中において、その中に投げ込まれた人はそこで絶望しないというようなことが、死を絶対視するような象徴派の詩人たちによって改めて演じ直される。これが1881年ごろに完成する『カラマーゾフの兄弟』において示唆された、ドストエフスキーの真夜中の、その真夜中の後に来るものです。

そしてこの真夜中っていうのがどこからくるかというと、大審問官にかこつけていうと、ジャッジメント。大審問官の審判。そして、それが下されてどうなるかというと、大審問官が何を裁いてどういう判決を下したかということです。「人間というのは忍従と屈服、その中でいわゆる平和をもたらされることによって幸せに生きる者なのであって、苦悩の中で抗いながら存在するものではないからして、神を信じる民衆たち、神を信じることによって忍従の喜びというようなものを見出した人たちが、私たちが導いている人たちの理想的な姿なのであって、それに対して抗うような人たちは出て行ってほしい。あなたがたは出ていかなくてはけない、イエスよ。」と、イエスが再臨したときに、「君のような人は必要ないんだ」、というのが、ドストエフスキーの大審問官の裁きなんです。
 イワンにその物語をさせながら、ドストエフスキーは、その形でも真夜中を拒絶して、そしてそこでの反抗と反逆というようなものへと逆転する。
 裁きが下ると、人はそこでパンを口にはするけれども、苦悩の中を歩くことをしなくなる。そのジャッジメントに対して、『罪と罰』の罪というのは、その状況から一歩外へ足を踏み出す。これがドストエフスキーの『罪と罰』の罪というふうに訳されている言葉の意味、プレストプレニエ、外へ踏み出すということです。
 つまり、ドストエフスキーの真夜中というのは、絶対的な希望の欠落の中で、完全な真夜中の闇の中で、そこから外に出ようとするという、そういう人間の行動のことであり、それをプレストプレニエと言ったわけです。これは、江川卓の『謎とき「罪と罰」』という本に詳しく書かれていますが、日本語で罪深いといったような意味での原罪の罪、あるいは、宗教的な罪、そういう意味での罪という言葉としてはロシア語にはグレーフという別の言葉があります。そうではなくて、踏み出す、今いるところから外に踏み出す、それがプレストプレニエです。それに対して罰が下る。罰=パニッシュメントが下るかもしれないけど、ジャッジメントに対して、それに逆らう形でプレストプレニエ、足を踏み出す。つまり、外へという。これが、ドストエフスキーの真夜中なんです。だから、こういうふうに話していくと、ドストエフスキーの真夜中は、ジャッジメント、審問、プロセス、そしてCrime and Punishmentと書き付けた室伏さんの、このたった一行の中に、室伏鴻のドストエフスキー論が読み取れるっていうことなんです。

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時代的にちょうど、そういったドストエフスキーのいわゆる19世紀の小説の世界から、象徴主義の真空、真夜中の世界を眺めていたニジンスキーが、そういう世界を見つめながら、ダンサーとして出発していったとすれば、そもそもニジンスキーの中には真夜中がなくてはいけないということです。
 けれども、室伏さんが2010年代に、この「真夜中のニジンスキー」を構想し始めたころに、そのような形でなされるその罪、外へ踏み出すというような行動は、実は、うまくいかないと、そして彼はそれを、「抵抗しなければならない」という言葉で言っています。「抵抗しなければならない。しかし私は知っている、勝利すること、到達すること、成就することはない。抵抗は成就しない。敗北する。だから絶対的に痙攣なのだ。」
 つまり、室伏鴻にとっての痙攣というのは、プレストプレニエ、踏み出す。そしてパニッシュメント、罰を受ける。そしてその抵抗は成就しない、失敗する。しかし、真夜中において人間は抵抗しなければいけない。そのときに成就しない敗北とともにあるその抵抗の中で、絶対的な痙攣というのが起こる。だから、ドストエフスキーから、ロシア象徴派へのそのプロセスの中で、絶対的な死の中で、しかしそこで忍従の、いわゆる平和というようなものを受け入れるのではなく、そこから、真夜中、というのはまさに、暗闇の中での一つの抵抗です。そして、そこでなされる舞踏というようなものも、結果としてそれは痙攣としてあらわれる。だから、ニジンスキーは真夜中なのだというふうに考えながら何かの新しい作品を作ろうとしていた。
 そういう意味でいうと、この「真夜中のニジンスキー」っていう作品は、20世紀が終わって21世紀になるときに、19世紀から20世紀にかけての文化的な動きの中にあった抵抗と痙攣というようなものに対する、それが、消えていく、かき消えていき、大審問官が言ったような世界の到来、収容所の愉楽、その収容所の愉楽を転覆するようなプロジェクトとして、「真夜中のニジンスキー」というようなものを考えなくてはいけない、そういう構想のものに作られようとしていた作品なのではないのかと思うようになってきたわけです。
 そんなふうに思いつつ、「ドストエフスキーとニーチェ」という副題のついたシェストフの『悲劇の哲学』という本を読んだり、『ドストエフスキーの世界観』というベルジャーエフの本に目を通したりしています。そもそも「ドストエフスキーにおける真夜中」っていうタイトルの本って出ていませんが、そういうタイトルで本を書くと、19世紀から20世紀にかけての芸術史の出発点における何かが書かれる可能性があるのではないかと思います。
 だから、室伏さんがこういうテクストを書き付けてくれたことと、スティーブン・バーバーがこのテクストをとりわけ特権的に引用してきてくれたということが、何か新しく考える出発点になるのではないかというふうに思っていて、そして今それについて調べているところです。ということで、今日は、終わります。

鴻英良│Hidenaga Otori

1948年静岡生まれ。演劇研究。東京工業大学理工学部卒、東京大学文学部大学院修士過程終了。ウォーカー・アート・センター・グローバル委員(ミネアポリス)、国際演劇祭ラオコン(カンプナーゲル、ハンブルク)芸術監督、京都造形芸術大学舞台芸術センター副所長などを歴任。著書に『二十一世紀劇場:歴史としての芸術と世界』(朝日新聞社)、共著に『反響マシーン──リチャード・フォアマンの世界』(勁草書房)など。訳書に、タデウシュ・カントール『芸術家よ、くたばれ!』(作品社)など。「鴻英良による挑発と洗脳のための猿の演劇論」を展開中。