鈴木創士
住宅街のなかにぽつんと空き地があって、草むらになっていた。山鳩がどこかでくうーくうー啼いている。山の匂いがここまで漂ってくる。このあたりの山麓には古代の巨石群がいくつかあるのだし、かつてここに古墳でもあったのか、草ぼうぼうのなかに打ち捨てられた石棺のようなものがある。何の保全もされていない石棺をいつもは訪れる者などいないのに、半分だけ土に埋まり半分だけむき出しになった石棺の残骸の上に男が腰かけていた。男の肩から緑色の大きなカメ虫がやにわに飛び立つのが見える。草には牧神の午後の光があたって反射し、照り返しのなかから、さっきの山鳩だろうか、鳥らしきものの影が飛び立った。静まりかえった草むらは目が眩んだように一瞬だけ一面灰色になったりしたが、男は苔むした石棺の上で全身緑色に染まっていた。
「あの男、さっき草むらのなかで踊ってたぞ、見たか?」
「いいや」
「あいつはエイリアンだな、たぶん」
「ブロンズの鎧をまとった緑色のエイリアン……」
「僕は冗談を言ってるんじゃない」
「今は座って新聞を読んでるじゃないか」
「新聞くらい読むさ」
陽が斜めに少しずつ翳り始め、眠気を誘った午後がもう終わろうとしていた。今日は暑かった。朝の冷気のなかでさえ草むらの牧神は軽やかな肉体をもはやそこにいない者に与えたりはしない。石棺のなかに自分を埋葬するという弔いの話など昔のことだ。葬列は過ぎ、跡形もなかった。だが草むらには水たまりのようにちっぽけな永遠がある。水たまりには空が映っている。大気のなかでかつてあれらの瞬間が弧を描いたように、そこで何かが勝利したのではなかった。偶然どこからか落ちてきたものがあっただけである。だがこの水たまりの上にやがてそっと夜の帷が降りるとしても、永遠は石棺の上に座る男を彼自身に変えることはないだろう。真夜中になると石棺はどうなってしまうのだろう。見ると、もう男の姿はなかった。
マラルメの作品自体としてこれほど隔たったものはないのに、室伏鴻にとってマラルメの「牧神の午後」から「イジチュールまたはエルベノンの狂気」の「真夜中」まではさほど遠くはない。十五人のダンサーたちは真夜中直前につどったが、室伏は時計の針が真夜中ちょうどを指したそのとき体の動きを止めた。あたりを深更の静けさが領する。あらゆる物が静止する。静寂は墓からもたらされたのかもしれなかった。室伏は思考をへし折った。お前たちは牧神の午後のニンフたちにけちをつけた、彼はそう思ったが反論しなかった。俺の体こそが石棺である。儚いとは「墓ない」ことであり、この体が墓である。室伏は発狂するかわりにそんなことを書いていた。幾度となくそのようなシーンを彼は舞台の上でつくったのだった。偽りの理想があった。吐き出された息が見える。何と牧神は醜いことか! マラルメもドビュッシーもニジンスキーの舞台の上での屹立とは何の関係もない。古代の夢を愛したのではなかった。重苦しい陶酔は終わった。静寂につつまれ、音も立てずに、笛の筒のなかを夜の微風が通り抜ける。誰もそれに気づかない。室伏はだからここから出てゆかねばならないのだ。
ニジンスキーには回転があり跳躍があった、と室伏は言う。室伏は身の底から思わぬときに顕れる痙攣についてずっと考えていた。それは身体の流儀を超えるものである。舞台の上でも室伏は痙攣のエキスパートであったし、ゆくりなくもそれは舞踏家としての彼の矜持であった。痙攣は回転とも跳躍とも違う。ニジンスキーには痙攣がなかった。もし身体の底に痙攣がひそんでいたなら、ニジンスキーは精神病を免れただろう。病院をたらい回しにされることはなかっただろう。ニジンスキーの「牧神の午後」のスキャンダラスな自慰のシーンにも痙攣はなかった、と室伏は言う。射精へのいきさつなど誰も見たくはない。精神の射精などというものはない。舞台の上でならなおさらである。その点でロシア・バレー団と同じようにドアーズのジム・モリソンも下手をうったのだった。まだ若いロックミュージシャンであった彼はステージで自分の性器をつかみながらそのことに思い至ることはなかった。激情は痙攣ではなく、自慰は痙攣ではない、室伏は何度かそう言って怒りにとらえられた。偽の射精があるのだと室伏は言う。思いのほかダンスには弛緩する瞬間がある。だらしがないあまり舞台の上で埒が明かなくなる。暗黒舞踏の身体はうろうろするばかりである。
ニジンスキーは自分は動く人間であって動かない人間ではないと宣言し、舞台で踊るときそれを自負していたが、室伏は舞踏が動かない、動こうとしても動けないものであることを知っていた。ニジンスキーは怒り狂った老嬢のようなディアギレフに悩まされ、彼が自分を破滅させるのではないかといつも恐れていた。ニジンスキーはディアギレフの真っ黒に汚れた枕カバーと二本の義歯を嫌悪した。彼は自分は間違いを犯し、一生かけてそれを正したのだと言う。ニジンスキーは優柔不断な上に不幸であったが、室伏のほうは苦悩のなかでさえ不幸を願ったのではなかった。狂気の発作の合間にニジンスキーが手記を書いていたとき、死の気配が漂ってくることを自分で分かっていた。だがニジンスキーはベッドの王様となってそれから三十年も生きることとなった。室伏のほうは踊るために空港へと赴き、その踊りのようにそこでばったり倒れ、そのまま心臓が停止した。ニジンスキーが自分で言うには、裏口から外へ出て行きたかったのだ。それはほんとうだった。そうでなければ手記など誰も書かないだろう。神がそう命じたのでニジンスキーは手記を書き続けたが、外に出て街頭に行くことができるなら、歩いて高い場所へ辿り着き、そこから下を見下ろしたかった。それがかなうときには、すでに外は真夜中になっていただろう。
室伏鴻は「真夜中のニジンスキー」を企図し踊ろうとしたが、彼の突然の逝去によってそれは果たせなくなった。疲労困憊の果てに室伏がたどり着いたのは、誰も見たことがないニジンスキーである。最後のニジンスキーは真夜中にしか棲息することができなかった。アルトーは作曲家エドガー・ヴァレーズと組んでオペラを画策したことがある。アルトーが精神病院に監禁されたためだったのだろうか、オペラは実現せず幻となった。二〇一五年十一月、パリのラ・ビレットで初演予定であった室伏の「真夜中のニジンスキー」はどんな舞台になっていたのだろう。それを想像することは我々には難しいが、私は彼の身体が、激しい動きや伐倒の後、「石棺」になるところを思い浮かべることができる。墓場はなく、ただ草むらにひっそりと石棺がある。知られざる石棺は真夜中の静けさのなかに置かれているばかりではない。石棺自体が真夜中となったのだ。身体には縁があるが、室伏鴻はこうして自分の身体の上に悠然と座っている。ニジンスキーはベッドの上でもう動けない。かつて舞台でそうしたように、手のひらをひらひらさせるだけである。
1954年生まれ。作家、フランス文学、ミュージシャン。著書に、『アントナン・アルトーの帰還』、『魔法使いの弟子 』、『サブ・ローザ 書物不良談義』、『ひとりっきりの戦争機械 文学芸術全方位論集』、『分身入門』ほか。訳書に、アントナン・アルトー『演劇とその分身』、『ヘリオガバルスあるいは戴冠せるアナーキスト』、『神の裁きと訣別するため』(共訳)、『アルトー後期集成』(宇野邦一との共同監修)、ジャン・ジュネ『花のノートルダム』、アルチュール・ランボー『ランボー全詩集』ほか多数。最新刊は、書き下ろし短篇小説『離人小説集』、長編小説『うつせみ』。『室伏鴻集成』の編者のひとり。